色々あるな~
夢から分かる深層心理、自分の心理状態を徹底分析
哲学の祖は 果敢に行動しています
不思議な類似点
人生を豊かにする親友とは
楽聖の哲学 生きざま
信ずる方向へ、すべてが動く
人生を左右する法則を学びましょう
彼の宗教感
生命の深層の実態
人類永遠の課題
勇気と無謀はどう違うの、そして憶病って残虐
下界の常識が当てはまらない山のお話
幸福には6個の条件があります
人生を豊かのする親友とは
夢から分かる深層心理、
自分の心理状態を徹底分析
そもそも「夢」とは?
「深層心理」とは?
見た夢別・深層心理のまとめ
未だに解明されていない夢の謎とは?
そもそも「夢」とは?
睡眠科学の世界では、夢はその人の記憶と強く結びついていると言われています。睡眠中は、脳内に蓄積された“記憶の貯蔵庫”の中に新しい記憶を保存したり、貯蔵庫の中から古い記憶を引き出したりする「整理」が行われているそう。その過程で、映画のフィルムのように記憶のイメージが夢として反映されているといいます。
夢のメカニズム
夢を見ない人は存在しません。なぜなら、夢は脳にとって必要な「記憶の整理」の過程で起こる「副産物」のようなものだから。たまに「私は夢を見ない」という人がいますが、それは単純に、夢を見たことを覚えていないだけなのです。夢の基本的なメカニズムについて解説していきます
「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」で見る夢が異なる
睡眠に「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」があるのは、すでに広く知られています。実は、この2種類の睡眠によって、見る夢の質が変わってきます。「レム睡眠」が、「身体は休んでいて、脳が活発に動いている状態」であるのに対し、「ノンレム睡眠」は、「身体も脳も休んでいる状態」です。
「レム睡眠」「ノンレム睡眠」どちらも夢を見る可能性がありますが、実は「ノンレム睡眠」の間に見る夢は、覚えていないことが多いといわれています。各睡眠時の夢の特徴は、以下のようになります。
<レム睡眠の間に見る夢の特徴>
比較的はっきりしている
ストーリー展開がある
夢の内容を覚えている
<ノンレム睡眠の間に見る夢の特徴>
はっきりしない、ぼんやりとした内容
ストーリーがなく、平凡
目が覚めても、夢の内容を覚えていない
(2)日中の過ごし方で夢が決まる
「よく夢を見る人」は、起きている間に脳が活発に動いている人が多いといわれています。これは、日中の活動で脳が刺激を受ければ受けるほど、睡眠中にその記憶を処理する必要があるため。反対に脳が受ける刺激が少なくなると、夢を見る頻度も低下するといわれています。さらに、高齢になるほど夢を見る回数は減っていくとされ、これも日中の脳への刺激が減少することや、レム睡眠が減少することが原因だと考えられています。
また、科学的に証明されてはいないものの、起きている間により能動的な刺激を受けた方が、夢を見やすくなるそう。具体的には、テレビを観るだけ、ゲームをするだけといった受動的な刺激よりも、人と会話したり、自分から何かを発信することで脳を刺激した方が、睡眠中に処理すべき記憶が蓄積されやすく、夢を見やすくなるようです。
(3)夢がモノクロかカラーかを決めるのは?
見る夢が「モノクロ」か「カラー」かも、日中の活動によって変化が表れます。アーティストなど、色彩が豊かな空間で活動している人はカラフルな夢を見る傾向があり、反対に色による視覚的刺激の少ない環境で生活している人は、夢もモノクロになりやすいといわれています。ちなみに、ある研究によると、昔の日本ではほとんどの人が「モノクロの夢」を見ていましたが、カラーテレビが導入された頃から、カラーの夢を見る人が増えていったという説もあります。
「深層心理」とは?
夢がなぜ、自分の「深層心理」を表すとされているのでしょうか?そこで、続いては「深層心理と夢の関係」についてわかりやすくまとめてみました。
深層心理≒無意識
深層心理学の第一人者であるユングによれば、深層心理とは「意識のコントロールや認識を超えたもの」。簡単に言えば、自分でも気づけない「無意識の心理」のことです。ユングの考え方では、無意識は、「個人的無意識」と「集合的無意識」に分けられます。
<個人的無意識>
もう忘れてしまっているが、本当は心の底に残っていること
知らず知らずの間に抑圧されてしまった欲求
<集合的無意識>
すべての人が普遍的に感じていること
社会の中で暗黙の了解になっていること
ユングは「夢に現れる内容の一つひとつが、深層心理の象徴的表現である」と言っています。記憶や願望といった「個人的無意識」と、自分でも気づいていない「集団的無意識」のイメージが組み合わさって、夢ができているということですね。
ユング式「6つの深層心理(アーキタイプ)」
ユングは特に夢に現れることの多い6つの要素を、「アーキタイプ」と名付けています。自分が見た夢の内容がどのアーキタイプを表しているかがわかれば、深層心理を知る手がかりになります。
(1)シャドウ
成長する過程の中で捨てられてきた可能性や、発達しなかった才能。
夢での現れ方:自分自身や、嫌いな同性
(2)ペルソナ
他人に対して繕っている「表向きの顔」。
夢での現れ方:洋服やアクセサリーなど、身に付けるもの
(3)アニマ
男性の中に秘められた女性らしさ。または、男性が女性に対して抱いているイメージや理想の女性像。
夢での現れ方:恋愛対象の女性や憧れの女性、または女性を連想させるもの(花や動物など)
(4)アニムス
女性の中に秘められた男性らしさ。または、女性が男性に対して抱いているイメージや理想の男性像。
夢での現れ方:恋愛対象の男性や憧れの男性、または男性を連想させるもの(銃や硬貨など)
(5)オールド・ワイズ・マン
男性にとっての最終的に達成したい目標。
夢での現れ方:仙人や少年、大きな山など
(6)グレイト・マザー
女性にとっての最終的に達成したい目標。
夢での現れ方:海や大地、または恐ろしい魔女など
深層心理が夢に表れるわけ
では、なぜ夢に深層心理が表れるのでしょうか。すでに述べたように、夢は脳が記憶を整理する過程で生まれる、いわば副産物。たくさんの記憶の中にあるものが断片的に“編集”されたものであるため、その人にとって特に印象的な記憶や、気にしていることが色濃く反映されています。
そのため、自分では気にしていないつもりでも、本当はとても傷ついた記憶や、ずっと楽しみにしていること、願望、恐れていることなどが夢になって出てくる場合があるのです
見た夢別・深層心理の徹底まとめ
これまでのことを踏まえて、どんな夢にどんな深層心理が現れているのか、代表的な例を見てみましょう。
(1)追われる夢・逃げる夢
何かに追われたり、何かから逃げる夢を見るときは、日常生活でも仕事や借金、試験などに追われていることが多いと言われています。この夢を頻繁に見るようであれば、問題の解決が必要。仕事量を見直したり、借金の問題であれば、早めに解決のために行動しましょう。
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詳しく知りたい方は、下記の記事もご覧ください。
幽霊や男に”追いかけられる夢”を見た…夢占いで紐解くその意味は?
https://fuminners.jp/newsranking/3603/
(2)空を飛ぶ夢
空を自由に飛ぶ夢を見た時は、自由に動くことができるだけの能力と運気が備わってきている状態といえます。日常生活が理想的に進んでおり、非常に良い状態です。
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詳しく知りたい方は、下記の記事もご覧ください。
「空を飛ぶ夢」は吉夢?夢から読み取れる3つの深層心理とは
https://fuminners.jp/newsranking/2969/
(3)誰かを殺す夢
誰かを殺してしまう夢は、その相手を消してしまいたい、その相手から逃げ出したいという気持ちの表れです。人を殺してしまう夢はショッキングですが、その相手が誰であるかにも、深層心理が表れているといえます。
相手が恋人なら、その人との付き合いを終わらせなければいけないと感じているのかもしれません。自分の親であれば、自立する必要があると強く感じているということでしょう。
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詳しく知りたい方は、下記の記事もご覧ください。
「殺される夢」「人を殺す夢」は吉夢?夢の意味と深層心理
https://fuminners.jp/newsranking/3007/
これらのシーンと前述の6つの「アーキタイプ」を組み合わせると、夢がどんな深層心理を表しているのかが、さらに詳しくわかります。
(例1)山を登っている最中に何かに追われる夢
アーキタイプを見ると、「山」は男性にとって最終的に達成したい目標を現し、「山に登っている」ということは、その目標に現在進行形で取り組んでいると解釈できます。また、「何かに追われる」は「現実でも何らかしらの問題を抱えている」と読み解くことができます。双方をつなげると、「とても重大な目標に取り組んでいるが、ある原因により難航している」ということがわかります。
(例2)アクセサリーをなくしてしまう夢
こちらも同様、アーキタイプから解釈すると「アクセサリー」が意味するものは、「他人に対して繕っている表向きの顔」です。さらに、それを「なくしてしまう」ということは、「他人の機嫌ばかりをうかがっている自分を脱したい」という気持ちの表れと解釈できます。
未だに解明されていない夢の謎とは?
夢に深層心理が表れていることは、科学的にも心理学的にも明らかになっています。しかし、夢そのものについては、まだ不明な部分や、原因がわからないことがたくさんあるのだそう。
外的要因が夢に影響する?
「好きなアイドルや芸能人の写真を枕の下に敷くと、その人の夢が見られる」という話を聞いたことがある人も多いはず。しかし、外的要因が夢に影響を与えることは、あまりないのだそう。睡眠中は、外的刺激をできるだけ遮断して睡眠状態を維持しようとするため、感覚系の働きが低下するようになっているからです。
「大きな石の下敷きになっている夢にうなされながら目を覚ましたとき、隣で寝ている人の足がお腹に乗っていた」「怪獣が吠えている夢を見た時、誰かがドアをドンドンと叩いていた」といったケースは、外的要因がとても大きいため、夢に現れた例外的なケースといえます。
「予知夢」は本当にある?
予知夢に関する研究も進んでいますが、その根拠は化科学的に解明されていません。事前に「おばあさんの具合が悪い」などと聞いていて、それを心配するあまり、おばあさんが亡くなってしまう夢を見る、といった体験が「予知夢」と認識されているだけなのではないか、とも言われています。
「見たい夢」を見ることはできる?
自分の深層心理が反映されているとはいえ、悪い夢は見たくないもの。しかし、思い通りの夢を見る効果的な方法は今のところ存在しません。とはいえ、夢は記憶と深層心理、日中の過ごし方に影響を受けるため、意図的に「いい夢」を見ることも不可能ではなさそうです。もし夢をコントロールすることができたら、毎晩ベッドに入るのが楽しみになるかもしれません。いい夢を見やすくなると言われている方法をご紹介します。
<いい夢を見る方法>
日中は人とポジティブなことを話すなど、「能動的な刺激」を脳に与える
ベッドに入ってからは、考え事をしない(悲観的な思考になることを避ける)
物事をできるだけ前向きに考えるクセをつける
以上のことに気をつけていれば、いい夢を見る確率が高まるのだそう。良い1日を過ごすことで、その日の夢も楽しいものになります。
●いい夢を見る方法ってあるの? 睡眠の専門家に聞いてみた
https://fuminners.jp/newsranking/2724/
夢によって自分の深層心理に気づくことができれば、「今は忙しいから焦っているんだな」「少し疲れているのかもしれない」など、自分をより深く知るきっかけになるはず。夢を上手に活用して、今の自分と向き合ってみてはいかでしょうか
ソクラテス プラトン
〇紀元前5世紀ごろ、古代ギリシャのアテネに、人間の問題を研究した哲学者ソクラテスがいた。
そのころのアテネは、衆愚政治、におちいっていた。
アテネ市民は、立派な人物、正義の人、一流の人物、を尊敬するどころか、嫉妬のゆえに悪口を言った
アテネ市民は、卑しい中傷を「民主主義を守る」と言う体裁の良い言葉でカモフラージュした。
〇恐るべき、退廃と欺瞞の社会になり、一流人物を認めない社会、
すなわち二流、三流、の人物によって動かされる社会になってしまった
〇その代表がデマゴゴスと言う男で、盛んに「デマ」を流し、有能な人物の失脚を計った
「デマ」の語源が、このデマゴゴスである。
又。彼らが好んで使った手段が「スカンドロン」で「罰」と言う意味で、真実とは関係のない、大衆が喜びそうな
スキャンダルを捏造して流した。この「スカンドロン」がスキャンダルの語源である
〇そのような社会でソクラテスは戦った。彼は早朝から、市場、街頭、体育館、等、多くの人に合える所に
出かけて行っては、温かなユーモアと、鋭い論法で、対話を続けた、
そのため、多くの若者が心を開いた。
ソクラテスの対話は「魂の対話」といわれていた。
しかし、その反面、絶えず、人々の笑い者にされ、あらゆる迫害をうけたていた。
〇アテネ作家でアリストファネスはソクラテスを登場させた喜劇を上演した。
うさんくさい邪教で若者をたぶらかす詭弁家の親分としてソクラテスを登場させた。
大衆はこの偽りの劇を喜んだ。
イメージの力は怖い。
ソクラテスはメレトスと言う男に告訴されたが。理由は劇と同じだった
〇アテナ市民はソクラテスを攻撃せずにはいられなかった。
〇本当の理由は、彼の巨大な実像を無意識にせよ知っていた所の嫉妬であった
「いかなる組織、国家であれ、その繁栄と衰亡の因は、人々の中にある」
〇ソクラテスを告訴したメレトスち言う男の背後には、黒幕の政治家、詭弁家がいた。
彼らは知らない事が無いかのように、何でも論じた。彼らは正しいかどうかは重要な問題ではない
相手を打倒する事が目的だった。
アテネの青年達はこの流行に乗ってしまった。
嫉妬社会のアテネは、退廃と衰退の坂を転げ落ちて行った。
〇そしてスッパルタとの戦争でアテネは内部崩壊を起こし。無条件降伏してしまった。
〇5年後、ソクラテスの裁判が始まった。
世の中の無知と偏見は恐ろしい。ソクラテスへの裁判が高まる中、祖国の衰退していく姿を嘆き
、以前にも増して人々の中へ、魂の対話を続けていった。
法廷においても、いつもと変わらず、堂々として人々に訴えた。
〇「君よ、恥ずかしくないのか。----世にも優れた人々よ。君はアテネと言う、知力においても。
武力においても、最も評判の高い、偉大な国家の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く
自分の物にしたい、と言う事ばかりに気を使い、恥ずかしくないのか。
人の評判や自分の地位の事を気にして、思慮や真実の事を気にかけず」と、うったえた。
〇真実を訴える事が、歓迎されるとは限らない。
むしろ既成の権威と無縁であるゆえに、迫害を受ける場合が多い。
〇ソクラテスは500人の陪審員と聴衆の前で、自分を有利に裁判を運ぼうと言う気配は、いささかも
なかった。
投票の結果、僅かの差で有罪が決まった。
次に刑の種類を決める時、彼らは「ソクラテスよ、おまえはどんな扱いが自分にふさわしいか」と聞いた、
ここでソクラテスは素直に罪を認め軽い刑を望めば、可能だった。ところが、ソクラテスは。
「最高の国賓的待遇である」と主張した。圧倒的多数で死刑が確定した。
最初は無罪。次に死刑に投票した人が多数いた。何の基準もない、ただの感情に支配された裁判だった。
彼らは、耳に痛い 真実に腹を立て、甘いおべっかを喜んだ。
正義の人は死に、アテネは滅亡へと向かった。
〇弟子プラトンが残された。
プラトンは涙の中から立ち上がり、師、ソクラテスを殺した社会悪を。自分は永遠に許さない。
師の正義を、真実を、万人に示し、証明し切ってみせる。と、80で死ぬまで戦い、ペンを握ったまま死んだ。
ソクラテスを世に知らしめたのは、プラトンだった。
〇彼は語る、正しく真実に哲学する者が、政治的支配の地位に着くか、現に、権力を持っている者が真実に
哲学するようになるか、いずれかが、実現しない限り、人類の不幸は無くならないだろう。
政治は-----弁論術 すなわち うまい話によって 多数の人を動かそうとする
哲学は-----対話によって一人一人を心から納得させようとする
政治は-----人にどう見られるかを気にやむ
哲学は-----自分が実際にどうあるか心を砕く
政治は-----青年を操作するため 真実から目をそらさせようとする
哲学は-----青年うぃ育成するため 真実に目覚めさせようと努力する
こうした対立が続く限り、哲学する正義の人は、悪しき政治の権力に、圧迫される運命にある
ソクラテスの名言を
「生切る」「知識」「英知」「実践」「人生の喜びと幸福」
「家族・友人」「法」「死」と分けて書き出しました。
ソクラテスの名言を選んでみますた
〇生きるとか
一番大切なことは、単に生きることではなく、善く生きることである。
生きるために食べよ、食べるために生きるな。
よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ。
魂の探求のない生活は、人間にとって生きがいのないものである。
吟味されざる生に、生きる価値なし。
財産や名誉を得ることのみ執心し、己の魂を善くしようと努めないこと
を恥と思わないのか。
わたしは最小限の欲望しかもたない。
したがって、わたしは神に最も近い。
〇知識の追求について
唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である。
勉学は光。無学は闇。
本をよく読むことで、自分を成長させていきなさい。本は著者がとても
苦労して身に付けたことをたやすく手に入れさせてくれるのだ。
良い本を読まない人は、字の読めない人と等しい。
〇知恵について
唯一の真の英知は、自分が無知であることを知ることにある。
自分自身が無知であることを知っている人間は、
自分自身の無知を知らない人間より賢い。
真の賢者は、己の愚を知る者なり。
賢者は複雑なことをシンプルに考える。
〇実践について
世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ。
少量をうまくやる方が、大量にまずくやるよりも良い。
人間の美徳は、すべて実践と経験によって自ずと増え、強まる。
〇幸福について
一番小さなことでも満足できる人が、一番裕福である。
何故なら満足を感じることは、自然が与えてくれる富だからだ。
満足は自然の与える富である。 贅沢は人為的貧困である。
幸福になろうとするならば、節制と正義とが自己に備わるように
行動しなければならない。
人間の最大の幸福は、日ごとに徳について語りえることなり。
魂なき生活は人間に値する生活にあらず。
〇家族・友人について
父母に恩を感じないなら、汝の友となる者はいないだろう。
いかなる財宝とくらべようとも、良友にまさるものはない。
とにかく結婚したまえ。良妻を持てば幸福になり、
悪妻を持てば哲学者になれる。
子供は、生まれたその日から、厳しくしつけなければならない。
幼にして謙遜なれ。弱にして温和なれ。
壮にして公正なれ。老いては慎重なれ。
友と敵とがなければならぬ。友は忠言を、敵は警告を与う。
あなたのあらゆる言動を誉める人は、信頼するに値しない。
間違いを指摘してくれる人こそ信頼できる。
〇法について
法は、善人のために作られるものではない。
悪法もまた法なり。
何人たりとも、不正に報いてはならない。
不正を受ける者は、不正を働く者よりも幸福である。
〇死について
死はいうまでもなく、肉体よりの解放にほかならず。
死は、人間のもっているすべての恵みの中でも、最高のものである。
死ぬことと自分の信念とどちらが大事か!
(死に際して)出発の時間がきた。私たちはそれぞれの道を行く。
私は死に、あなたは生きる。どちらが良いのかは、神のみぞ知る。
キリスト教と仏教の接点
古来インドでは東洋とか西洋の違いについて 意識はしていなかったようです
西南アジアの諸国を中洋とするなら、仏教もキリスト教も、同じ世界から生まれた、
としてもおかしくないのです。
〇いずれも政治上の権力と対決する所から生まれた
〇また 祭紀的呪術の宗教よりも高次元の人間的価値や創造をめざしている
〇実践する弟子達の行動は必然的に民衆救済に立ち上がった
キリスト教の興起以前、ユダヤ教の一分派(異端とされているクムラン教団)
であるとされている、エッセネ派が西暦紀元ごろ 死海の沿岸で約4千人の会員からなる、
修道団体を形成し、仏教の出家修行僧団と、同じような簡素な生活を送っていました
(これに関係したヘブル聖書、ラビの書物 死海文書 等は後日機会があったら)
一人の奴隷もおらず 武器は持たず 戦争に関係する仕事は一切しない
禁欲的で 共同生活 独身 菜食主義
本来ユダヤ教は、ユダヤ人の社会生活の中に 体制宗教として伝えられてきたものであって
社会から離れて 独自の修道生活を営むことは考えられないことから
このエッセネ派と言うのは ユダヤ教の一派と言うより
〇----仏教の僧伽から影響を受けたものではないか
〇----イエスは このエッセネ派から何らかのつながりがあったのではないか
と言う予測をもとに 様々の角度から話をさせていただきます
この予測は専門家の多くものべています
そして洗礼者ヨハネはこのクムラン教団の出身とされています
更に、キリスト自身もクムラン教団に属していたのではないか、と言う
専門家の多くの予測もあります
北欧で仏教寺院の遺跡が発見されています
スエーデンは550年7月 小さな仏像が発見されています
イギリスではオリゲネースがユゼキエル書註解において
「紀元230年頃 その島(イギリス)ではすでにドウルド僧達と仏教徒とが
神の唯一性の教えを広めてくれていたのいで そのずっと以前から それ(キリスト教)
への傾向をもっていた」と記されています
このドウルド僧というのは 西洋としては異例な「輪廻」の理念をもっていた等など
紀元前3世紀のアショーカ大王による仏教西漸が、当時のヨーロッパの辺境地域である
イギリスのケルン族の間にまで及んでいたのです
又イギリスの南ウエールスの古代都市の遺跡から ローマ貨幣と一緒にミリンダ王の貨幣が
一枚発見されました、ミリンダ王は前2世紀に西北インドを支配した帝王ですから
インドからローマを経てイギリスに渡ったのです
1956年 アフガニスタンでフランスの学術調査団が アショーカ王の詔勅を発見しました
仏教上の伝説の王とされていたアショーカは、実存した王である事が証明されたのです。
そして その碑文の解読に成功 それはアラム語とギリシャ語で書かれていました
そしてそのアラム後こそ アーリア民族の打ち立てた最古の大帝国 東はインダス河流域から
南はエジプトのヌビアに至る ダウリス大王のペルシャ帝国の公用語なのです、そしてそれは
イエスの時代の日常用語だったのです
その事から イエスはこのアラム語を通して仏教に接触し 汲みこんだのではないかと創造できます
当時 中央アジア(インド西北)は世界文明の十字路と言われる程 南東西を結ぶ文化の要衝だったのです
中国の長安 西のローマと並ぶ100万都市もこの中央アジアにはあり ペルシャからこの地にかけて
広大な文明圏を形成していたのです。
東の中国 南のインド 西のローマの間に 国際色豊かな先進的文明圏があり
この中東文明圏の西端であるパレスチナと 東端である大乗仏教の地 西北インドの間に
交流がなかったとする方が不思議なのです
今日のような荒廃した後進地帯になったのは、チンギスハーンの征服と徹底的な破壊によるものです
キリスト教の「来るべき者」としてのメシヤは 仏教の「当来仏」としての弥勒 すなわち
パーリ語の「メッティーヤ」サンスクリット語の「マイトレーヤ」から来ているのではないか
発音が非常に似ているからです
「天にいます我らの父」は大乗仏教の「久遠実乗の本仏」ではないか
イエスに儀式をほどこした 「ヨハネ」は漢訳仏教の「浄飯王」(釈迦の父)がなまったのではないか
イエスの母「マリヤ」は釈迦の母「摩耶(マヤ)」からきているのではないか
聖書の中の逸話で 法華経で有名な「長者窮子」の譬えと殆どおなじものがあります
又 地獄の落ちた罪人を生前助けた蜘蛛の糸で、地獄から引き上げようとする話と
一本のネギで地獄から救おう、と言う話等、いずれも再び地獄へ落ちる様子といい、同じなのです
私自身 どちらが仏教でどちらがキリスト教だったか もう一度調べないとわからなくなりました
キリスト教では 神は一つではあるが 「父」と「子」と「精霊」と三つに現れると解きます
仏教では三身即一身」「一身即三身」と解きます
ただしキリスト教の神は一つだが 仏教の仏には普通の人間がなれると解く ここは違う
キリスト教では 神の子であるイエスをこの世に送った
仏教でも「分身三体」と言って 民衆救済のため 自分の身を分けち 様々な国に現れると解く
キリスト教では 殺人 盗み等を戒めた 「十戒」がある
仏教でも 父母のへの殺人を含めた「五虐罪」等で戒め 更に僧が多くの戒律を保つ事が 当たり前えです
今の日本の坊主はいいかげんだが 仏教の衰退は この坊主の特権意識 堕落にある
又 キリスト教は「愛」を解き、仏教は「慈悲」を解きます、その違いがわかりますか。もちろん違いますが。
又 西洋のお伽話の中に 仏教やインドの説話から取り入れたものが かなり多いのです
ラフカディオハーン(小泉八雲)氏の東西文学評論」のなかで
「今日では旧世界の伝説の大部分はその根元を仏教に辿ることができると信じられている」
と述べている通りです
仏教はキリスチ教ばかりでなく ギリシャ哲学との交流も考えられます。
西洋哲学の起源はギリシャにあるとされているが、仏教 ギリシャ哲学とも「自我」「存在」「生命」
に関して共通の関心を持っています
ソクラテスの「汝自身を知れ」は釈迦の「汝自身を省み訪ねるが良い」と同じ意味です
仏教 キリスト教が発展した要因に共通する3点をあげます
〇原始的宗教の呪術的迷信を打破しようとした
〇既成宗教の祭祀体系を否定した、これは バラモンとパリサイ人を盲人に譬え
その否定の仕方まで同じです
〇民族的に偏狭な観念を克服した、仏教は四姓平等を説き、イエスもユダの民族主義を乗り越えました
もし 直接的なつながりが無いとしても 本当に深く人間生命を探求していけば、角度は違っても
やがて、同一の方向に到達すると言う事が 考えられないでしょうか
仏教にしてもキリスト教にしても 世界宗教に発展した理由に、普遍的な心理を含むものがあり、
人間の捉え方にしても、事物の本質の掘り下げ方にしても、万人が納得いくものがあった、と言えます
もし 人類文明にこの二つの宗教が無かったら、人間の知恵はいかにも底の浅いものに
なっていただろうと思いますも
始め方で 「それ(キリスト教)への傾向をもっていた」と記されていたと書きましたが
中国の孔子の存在も(仏教へのつながりは無いが)仏教への傾向をもっていた事は確かです
儒教の「仁愛」「大同」墨子の「兼愛」「非攻」又道教等もです
最後に
トインビーが晩年残した 重大な予告を紹介します
「今から千年後の歴史家が21世紀について書くとすれば
彼は資本主義と共産主義と言う政治論争や科学技術の著しい発展と言う事ではなく
歴史上初めてキリスト教と仏教の対話が深く浸透し合うと言う問題であろう 」
●-おもろいはなし-
「汝自身を知れ」
自分とは一体何であろうか。自己とは何か、自己というものをどうとらえるのか、
どう求めていくか、毎日をどう生きていくか。
これは、人類永遠の課題であります
「自分自身」ということは、我々が生きていくために、もっとも大切な事柄で、
古来の哲学、宗教においても、みな「自己とは何か」ということを問題にしてきました
「自己」という言葉は、英語では、「セルフ(self)」と言い、ドイツ語では、
「ジッヒゼルプス(sich,selbst)」というような言い方もあります、
自分を反省して、そこで自己というものを見つめるわけです。
この自己を知る、ということは非常に難しいことで、
私達は漢字で「自己」と書いていますが、その「自己」の「自」というのは、
元は中国で自分の「鼻」を表した言葉だったんです。
顔の真ん中に付いている? 顔の真ん中に鼻がある、
漢字というのは象形文字ですから、それを象(かたど)って、
それで「自」という字を使ったわけです。
顔の中心にあって自分の事をいう時に鼻を指して、「私」などというわけです、
つまり鼻が顔の真ん中にあり、顔は大事なものですから、真ん中にあるんだから
非常に中心となる大事なものの筈ですが、しかし自分の鼻は見えないわけです。
他の人の顔なり、鼻は見えるが、自分の鼻を見ることができない。ということは、
自分を見つめるとか、自分を反省する、ということは非常に難しいと言う事です
けれども、自分の存在の奥に「自己」と言われるべきものがあって、
我々の生き方を導いている、ということが言えるし。そこに示されているわけです。
「自己」の「自」というのは、「鼻」ということなんです。
従って、自分のことがよく見えないのも、そうなると当然ですが
自分で自分の鼻は見えないので、それだけに昔からギリシャ時代にも、
あるいはインドにおいても中国においても、自分ではなかなか見えない自己、
それをどう考えていくか、というので苦労してきたわけです。
考えてみれば一番大事な事柄なんです、
「汝自身を知れ」ということは、
昔ギリシャのデルフォイの神殿に掲げられていた句であるというので、
一般に知られておりますが、学者のいうところによると、
元は、「めいめいの人は身の程を知れ」という意味だったと解釈されております、
これがソクラテスによって非常に深い意味に解釈されて、
「めいめいの人の本当の自己を探求し求めよ」というところから
哲学的な思索が深められたわけです。
これは何もギリシャだけの問題ではなく、インドでは「自己を知る」ということは、
ある意味でインド哲学の中心課題だったわけです。
既にウパニシャッドの中で自己を知るということが大きなテーマになっており、
その後インド哲学二千数百年の歴史を通じて常に学者が論議してきたことであります。
自己というものを求めていくのに良い材料となる仏典の言葉があります
「わたしには子がある。
わたしには財がある」と思って愚かな人は悩む。
しかし、すでに自己が自分のものではない。
まして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。
(『ダンマパダ』六二)
解説、、ダンマパダとは・・・法句経とか初期仏教とか原始仏典とかいわれている
仏典の一つで。仏の教えを短い詩節の形で伝えた 韻文のみからなる経典
日本では『法句経』と知られているものですが、ここに「自己が自分のものではない」
と言う凄い表現をしいますが、非常に鋭い表現だと思います、
これは私たち一般の生活を考えてみても、自分に何か属しているものがある、
と思うわけです。
自分には子どもがある。あるいは自分は財産がある。こういうようなものが
自己を作り上げている。
自己に属している。自分はそれに頼っている、と。安心だ、と。一応そう考えますが、
しかし考えてみれば、それらは自分の自己として頼ることが出来たかどうか。
例えば子どもを如何に愛しても、この世を去る時は自分は一人で去らなければなりません。
何かの時には頼りにならない、と。それから財と言ったって、いくらお金持ちだって
その財産をあの世に持っていけるわけじゃない、
そうするとやっぱり自己から切り離されたものです。
だから本当の意味の自己とは言えないんではないか。だから頼りにならない。
そんなら自分はどうしたらいいか。
まず自分自身を調えるということが必要ではないか、と。そこへ思索がいくわけです。
財産や、子どもにしても、すぐ自分から離れていってしまうし、自分の自由にならない。
そうしたら、物がほんとに自分のものだということはないし、だからこそ
自分というものを求めていくということが、自然と出てくるのです、
「自己を求める」ということが、昔からいろいろな形で試みられています、
自己を知るとは何か、と。ギリシャ以来いろいろ求める方が説かれています
この「自己」というのを、インド哲学、あるいは仏教哲学においては、
どう表現しているかと言うと、「アートマン」と言います。
「アートマン」というのは、英語で言ったら「セルフ(self)」という言葉に相当します、
自分自身を振り返って言及する時に使われる代名詞なんです。
その語源をみますと、インド、ヨーロッパ語のもろもろの原語を通じて言えることですが、
「息」を意味する言葉だったんですね。 呼吸です。
元は「アートマン」は「呼吸」という意味であった。
英語でも「アトモスフィア(atmosphere)」と言います。
「アトモス(atomos)」というのはギリシャ語に由来するんですが、やっぱり風。動く風です。
だから「呼吸」「息」というものは動く風ですから、アトモスで表現されたこともあるのです。
ドイツ語では「アートメン」というような言葉があります。
呼吸することをアートメンといいす。そこに繋がるわけですが、
で何故そういう言葉を使ったかと言うと、「人間の自己は何だろう」とこう考えてみると、
そうすると命のある間は我々は息をしているとみたわけです。
すると息をしているその奥に自己があるだろうと思って、それで呼吸の現象に気付いて、
それから自己を反省して、だんだん中に入っていったわけです。
そこからインドの哲学的思索が始まるわけです。
呼吸がなければ生きていけないのは道理であり、一番大事なもの、一番本質的なもの、
それが自己ということになってきたかと言えますが、
その自己というものも実はなかなか大事だということは知っていながら、
先ほどの鼻ではないが、自分のほうで特に求めようとはしません。
他の詰まらないものは求めるけれども、自己を求めるということを
なかなか私達はよくやらないわけで、その辺を中国の孟子なんかの面白い喩えがあります
「人間が自分の持っている鶏とか、犬とかが逃げてしまうと、あっ、大変だと
言って追っかける。けれども、自分自身を忘れている。どうしたことだ」と、
まあ孟子は警句を放って反省させているわけです。
これは仏教にも同じような喩えがあります、
「自己を求めよ」ということを一番適切に説いた、面白い物語で示していることがあります。
それは釈迦がベナレスで教えを説いて、かつて悟りを開いたブッダガヤーの方へ歩いて行った。
途中に林があり。そこで三十人の男性がいた、それぞれ自分の奥さんを連れて来て、
楽しんでいた。遠足のようなものだろうと思うんですが。
ところがその三十人のうちで一人だけ妻がいなかったというんです。
その人だけ寂しくて可哀想だというんで、遊女を連れて来て、それで仲良く楽しんでいた。
そうしたら気が付いてみたら、その遊女がその相手の人の大事なものを盗んで、
こっそりと逃げてしまった。
ああ、大変だと騒ぎ、みんながあの女はどこへ行ったかと捜していて、ガヤガヤしていた。
そこへお釈迦様が通りすがって、「どうしたんだ」と。「いや、これこれの次第です」と。
すると、釈尊は、「何だ。君たちはそんなことで騒いでいるのか。
婦女を求めるよりは自己を求めよ。
お前たちは自己を忘れているじゃないか」と言われた。
そこでみんなはハッと気付いて、それで釈尊に帰依するようになったという、物語があるんです。
品物が無くなると、私ども一生懸命捜します。
先ほど孟子の話からも、十円銅貨を落としても捜し求めるくせに、
自分自身を捜し求めるということはなかなかしない。
そういういろんなエピソードがあり、その中から一体自分て何か、ということを
求めていくわけです、
いろいろ哲学とか宗教の中に非常に難しい形で自己を求めるということがよくある事ですが、
そうした哲学的なというか、非常に高度の修行が必要なような自己ではなくて、
もっと生活の中に自己を求めていくということをブッダの教えの中にあると思います、
つまり非常に生活実践の中で自己を求めていくという、
そういう生き方を説いたのが釈尊であったと、と言えます。
もちろん哲学者たちも自我を追求するということはやったわけです。
近代哲学というものは、「自我の自覚から始まる」と言われております。
デカルトが「我の存在を論証した」というのは有名ですが、
「自分はここで考えている、意識している、だから自分は存在する」というんでしょう。
あの議論がまたインドでも、今から千三百年ぐらい前にシャンカラ(八世紀前半)
という哲学者が言っているんです。
「自分はあらゆるものを疑うことができる。けれども、自己の存在を疑うことはできない。
自己を疑おうとすると、その疑っている自己というものがまたここにある。
それを否定できないではないか。だから自己、アートマンを否定することはできない」。
ただ面白いことには、シャンカラの議論はそこからすぐ大我の存在へ飛躍するわけです。
「自己は否定できない。その奥にある大我も否定できない」と。
すなわち、私たちが日常普通に「私のもの」といっている我のもう一つ奥に
本当の自己、大きい我がある」と、こういう考え方になります
近代西洋哲学の場合には、個人的な自我の存在というところで止まっているわけです。
ところがシャンカラはさらにその奥へ突き進みました。
自我の存在の証明が、その奥にある絶対者の存在の自覚というところまで進んだというので、
シャンカラの思索の特徴があるわけです。
ただこれは所詮哲学者の議論になります。
現実に生きている我々としては、もっと生きた意味での自己の捉え方というのが必要です。
そうすると釈尊の言葉を改めて反省する必要が起きてくるわけです。
釈尊が実際的な形で捉えるといいながら、仏教には「無我」という言葉がありますが、
「無我」というのは我が無いと読めると思うんですが、
我が無いということと「我」というのは自己ですから、それを求めよということは、
「無我説」ということが仏教の根本の教えだ、とよくいわれますが、その意味は
「我執をなくせよ」と言う事です。
我々はこの自分に執着しています。我執があります。そして欲望にとらわれている。
それを超えよう、というところから発した説です。
だから別に我がない、という意味ではなくて、むしろ経典に説かれている教えは、
「如何なるものも我ではない。如何なるものも自己ではない」と、
そういうのがもとの意味なのです。
だから非我説と言ったほうが正解に近いと思われます
「無我」というと「我が無い」ということですが、
それが我が無いというよりはむしろ「どんなものも我では無い」という。
それで「非我―我(が)に非ず」というふうにとらえたほうが
実践的であるということになります。
先に述べた言葉で、自分は非常な財産を持っている。けど、その財産といっても、
これは考えてみれば本当の自分ではない。
いつかは自分から離れるかも知れない。それから愛する家族が周りにいる。けれども、
死ぬ時は一人です。
そうすると現実な意味ではそれも我であるとは言えない。
あるいは社会的な名誉であるとか、地位とか、いろいろありますが、
それも本当の意味の我ではない、と。つまり仏教の反省はもっと内面に入っていくわけです。
我々の存在を構成しているいろいろの作用だの要素を考えるわけです。
例えば知覚能力というのがあります。思考能力というのがあります。意識する働きもありまね。
こういうようなもの一つ一つとってみても、それは我ではない。
またその中に我があるのではない。またそれらが我に属するものでもない、
とこういって追求して、非常に反省的にもなります。
常に私どもいろいろものを考えたり見たりしながら、
「これが私ですよ」と。「我ですよ」と。あるいは「これが私のものですよ」
というふうに握り締めて、しかし握り締めてしまうんだけれども、考えてみれば、
「これが私ですよ」という私にしたって永久に持ち続けられるものでもないし、
自分で自由にもならないし、私のものと言いながら、みんな離れていってしまう。
結局「これが私ですよ」とか、「私のものですよ」と。つまり「我である」とか、
「我のもの」とか言って握り締めるものもないから、その意味で、
「どんなものも私として掴まえちゃいけない」と。「私に非ず、私のものに非ず」
と、受け止める事になります
つまり無常の教えと表裏の関係にあると言う事で。よく世間の人が執着するものなのです、
無常の立場から見ると、いつかは消え失せるものです。
それは自分の死後にまでは残るかも知れないけれども、いつかは消え失せるものでしょう。
そうすると永久不変の実体であるということは言えないわけです。
ところが実際に私達がやっているのは、例えば命にしても、健康にしても、若さにしても、
その他品物にしても、一旦自分のものにしてしまうと握り締めてしまって、
永遠に自分のものであれ、というようなことを常に願います。
そして、いつも挫折するわけです、
そういうような具体的に形のあるものが自己であるとか、
自分に属するものであると考えてはいけない。
本当の自己はどこにあるか、ということです。
自己を決して仏教は否定してはいません。
自己が存在しないとは言わない。どこにあるか。生きていくための道理、筋道、
それに従って生きていく、そこに本当の自己が現れる、と。
だから他面では、自己は自己の主である、という具合に説いて
実践的な意味で自己を理解しています。
(何ものかを)わがものであると執着して動揺している人を見よ。
(かれらのありさまは)ひからびた流れの水にいる魚のようなものである。
(『スッタニパータ』)
原始仏典の中でも一番古い時代のものですが、我が物であると執着すると
本当にアップアップしている魚と同じではないか、とこういうことです。
これは考えてみれば痛烈な寸言です。
我々は日常いろいろなことに追われてあたふたして暮らしているわけですが、
これを高い立場から見ると、水溜まりに魚が棲んでいる。だんだん水が引いて乾涸らびてくる。
やがて水が無くなりそうになるとバタバタとのたうち回ります。
そんなようなものじゃないか、と言う訳です。
そう考えると「私ですよ」とか、「私のものですよ」と、本当に執着していると、
無常ですから、常に変わっていってしまう。握り締めていくわけにいかないから、
かえって欲求不満になってこうアップアップする状態になってしまう。
本当に他人事ではなくて、少し本気になって自分の生活を振り返ってみると、
なるほどそうかなと思い知らされるほどの実感のある言葉と思われます、
結局そうすると、「無我」と言っても決して「自己存在がない」と言っているわけではなくて、
「どんなものも私とか私のものとかというふうに執着するのをよしなさい」と。
「むしろそういう執着を離れたところに本当のキラキラした自分というものが働きでるんだ」
と、言う事だと思います。
仏典の中には反対に実践的な高い意味での自己を説いています。 ★
例えば「自己をいたわれ」とか、「自己のためを考えよ」とか、
場合によっては「自己を愛(いとお)しめ、自己を愛せよ」というような言葉もあります。
これは浅はかな自己という意味じゃなく。
「本当に人間が真実の自己を実現するように心掛けよ」ということを言っているわけなんです。
だから仏教は決して自己を否定するどころじゃなくて、本当の自己、真実の自己を現す、
ということを説いているわけです。
これはインド以外の思想においてもやはり多かれ少なかれ見られる事です。
仏教は非常に実践的な形で、つまり自己を愛しむとか、自己を調えるということは、
寝っ転がっていて頭で考えてもできることではなく、実践的な形でやるし、
それからそれなりの訓練がなければならない、と言う事です
そうしたことを自分に、道理に大変ピタッとあった自己を調えていくという説ご紹介をします、
実に自己は自分の主(あるじ)である。
自己は自分のよるべである。
故に自己をととのえよ。
―商人が良い馬を調教するように。
(『ダンマパダ』三八○)
やはり自分のことは自分でやっていかないといけないわけです。
結局人に頼っているというのでは、自己の本当の生き方というものを見失うおそれがあるので、
やっぱり自分のことは自分で考えて、自分を調えて生きていけ、というわけです。
「自分を制する」とか、「調える」とかと言うと、なんか欲望は全部抑えてしまって、
窮屈な生活をしよう、というような印象を与えるけどね、修身の教えのように取られますけどね、
そうじゃなくて自己というものを考えてみると、いろいろな複雑な人間関係の中に置かれて、
我々が生きているわけです。
周囲から切り離されて生きるということはできない。他の人から切り離される存在ではないし、
また周りの自然環境にこ我々人間が対立するものでもありません。
むしろ我々と融合しているものです。
そこまで思いを馳せて、じゃ本当に自己がどう生きていったらいいか、ということを考えると、
そうすると自ずから生きるべき道というものが明らかになる。
それに合致するように、平たい言葉で言うと、宇宙の波長に自分を合わせて生きていく、と。
それは、何か精神修養とかというような特別なことではなくて、
勿論生き方ですから具体的な訓練は必要なんでしょうけれども、
その訓練する方向が決して独りよがりのものでなく、社会の中の自らと
一つの生き方であるとか、或いは宇宙の大原則であるとか、
そうしたものにピタッと合った形で自己を生かしていく、と言う事なのです。
独りよがりの自己観念でこの世の中をみてみると、
非常に世の中を損(そこ)なっている事が分かります
自分さえ良ければいい。しかも自分が一時の感情に委せて勝手なことをする。
他人(ひと)のことは考えない、というふうな風潮が殊にこの頃強まっています。
自分勝手なことをして、私は一人偉いんだと言っているんですけれども、
実はそうじゃなくて、自分自身に勝つのが本当の勝利を得た人だ、
という経典があります。ご紹介を致します、
戦場において百万人に勝つよりも、
唯だ一つの自己に克つ人こそ、
実に最上の勝利者である。
(ダンマパダ一○三)
老子も、「自己に勝つ者を、勝者となす」といっています。
釈尊もこう言っておりますし、
「克己」という言葉はもともと中国の言葉ですが。
己に克つ。と言う事です
我々の祖先は絶えず努めてきたわけですが、
インドではこの自己に打ち克つということを非常に強調して、
ヒンドゥー教でも説きますし、ジャイナ教でもこれと同じようなことを言います。
ですから仏教でもジャイナ教でも本当に修行を完成した人は、
自分の向上に努めた人、自分を高めることに努めた人、これを勝利者と言います。
「ジナ」と申します。ジナというのは勝利を得た人、勝利者という意味ですね。
戦場において千人の敵に打ち勝つよりも自分自身に打ち克つことのほうがもっと難しい。
それを成し遂げたのは偉大な人だ、と。そういう意味です。
最初に話したように、自分の鼻に例えられるような自分というものは、
なかなか見えないし、追い求めようとしない。
どうしても「勝った、負けた」と言い、他人との社会の中での勝ち負けにこだわります
「本当の勝利というのは自分に克つことだ」と。自分に克つといっても、
別に自分同士で格闘するわけじゃないし、もっと精神的な意味です。
つまり。我々の意欲というものはいろいろあるわけですが。
だから時には矛盾するわけです。
あれもしたい、これもしたい。それらが矛盾し、相克することだってあるわけです。
その場合にどの道をいくか、とこかを整えなければいけないわけです。
今これをしなければいけない。この次にはこういうことをする。
あの場合はこうであるべきだ、と。そういうふうに整えるということが
自己に打ち克つことになる訳です
結局自分というものを野放図(のほうず)にするのではなくて、
やはりいろいろ考えて抑えるところは抑える面がないといけないと思うし、
それが自己に克つことであり、そして先ほど、「自己を愛する」と言ったわけです
「自己を愛する」と言っても
なかなか自分自身で考えても、とてもだらしない自分であるわけで、
そのだらしない自分であるからこそ、本当の自己を求めると言う事ですが、
その求める私がもともとだらしないので、とても難しいと思います、が、
それでも自分を大事にしていかなければいけないという事なのです、
仏典に自己を愛するというのはどういうことか、
ということの良いエピソードがあるようでご紹介します
確かこれはインドのコーサラという国の王様のパセーナディと王妃のマッリカー
という方との会話の中に出てきたものです
思いによっていかなる方向におもむいても、
自分よりさらに愛しいものに達することはない。
このように他の人々にとっても自分がとても愛しい。
それ故に自己を愛する人は他人を傷付けてはならない。
(『サンユッタニカーヤ』)
これは、ある美しい月夜に王様が宮殿の上にのぼって、
月を眺めて夜景を愛でていたというんです。
インドの宮殿は屋根の上が平になっており、日本と違います。
日本の屋根はこういう具合に尖っているけども、
インドの大宮殿は大抵屋根の上が平らで、
そこで休息したり寝ることもできるようになっています。
屋上のようになっており、それで傍にお后がいる。
「ああ、今日は美しい眺めを楽しめてほんとにいいな」と、
月を愛でて王様が思わず言葉を発したわけです。
その時に王様がお后に向かって、
「この世の中で大切なもの、愛するものはいろいろあるが、
自分より愛しいもの、自分より大切なものがあるかしら」と、
王様がお后に聞いたわけです。
王様がそう聞いたわけは、王様のほうからお后に甘い答えを期待していたわけです。
おそらく、若い、若くないも同じかも知れませんが、
愛情を持ち合っている人々の間の会話としては、やはり愛情を確かめていきたい。
「何者にもまして、あなたが一番大切であります」
という答えをやはり欲しいというのは、誰でもそう思う事でしょう。
ところがお后は、王様の期待をはぐらかしてしまったんです。
「私にとっては自己よりも大切なものはございません。
自分よりも愛しいものはありません」と。
我が身可愛や、と。 随分ドライな返事が帰ってきました。
そして王様に向かって鋭くつくわけです。
「王様、あなたは如何ですか?」というんです。
そうすると、王様もやっぱりそういう答えを言わざるを得ない。
「ああ、やっぱり自分でも考えてみると、自分が一番愛しい」と。
そこで今度自分が愛しいということについての反省が起きるわけです。
今、読んだ聖典の言葉のように、考えてみると、どちらへ向かって探し求めても、
自分より一番愛しいものはない、と。つまり誰だって我が身可愛や。
他の人だって同じじゃないか、と。そこで人と人との関係を反省するわけです。
それならば、人に対して害を与え損なうということが一番悪いことで、
反対に人を愛し愛しむということがもっとも尊いことである、と。
これは誰にとっても同じことである、と。
だからこの気持を人々の間で実現しようじゃありませんか、と。
そこから仏教の慈悲の教えが出てくる訳です。
先ほど紹介した詞が、そうしたパセーナディ王とマッリカー王妃との間の
会話にもとづきながら釈尊が教えた言葉ですから、釈尊は、我が身可愛や、
ということはまず認めるわけで。認めたうえで、
それじゃ我が身可愛いんだから 好きなことをさせればいいのかというと、
そうではないんだ、と
自分にとって自分が一番大切である。とするならば、
他人さまにとっても、他人さまの自分がその方には一番大切なのだ、と
言う事になる訳です。
他人を自分の身に引き当てて考える。
あるいは他人の身になって考える、という事なのです。
仏教でいう「慈悲」というものの、出発点であり、基本という事になります
「慈悲」という非常に宗教的な高い徳であるという印象を与えますが、
確かにそれに違いないんですが、もとの意味は、
「慈悲」の「慈」は、サンスクリット語で、「マイトリー」と言い、
「真の友情」という意味になります
つまり本当の友人同士が持っている真実の気持で。それが「慈」と言う事です。
「悲」というのは「哀れみ」と言い。人と哀れみを共にし、同情する、という。
これも本質において同じことです。
だから仏教では特に「慈悲」という言葉を説くのです。
「慈悲」と言うと、身を構えて、仏さまでなければ実現できない
何か、こう他人様に何かしなくちゃいけないんだ、
といったような感じがないわけでもありません、が。
そうじゃなくて、一般の人々の間でもその気持ちは実現されていることなんです。
例えば何でもないことですが、我々困った時に道を人に聞きます。
そうすると、その人は親切に教えて下さる。そこには損得の観念がないわけです。
ああ、あの人は困っているから助けてやろう、という気持。
人に道を教えるということは日常互いにありますが。
実際に人間の中に具現されていることです。
ただ、それはもっと高めて広くしよう、といのが「慈悲」という言葉です
中国でお経として翻訳され時に、古い時代には「兼愛(けんあい)」と訳しています。
「兼ね愛する」と。
これは墨子(ぼくし)の言葉ですが。
「広く人々をすべて愛する。それが慈悲だ」と言う事です。
と言う事は、特に素晴らしく修行の積んだ方が何かするというんじゃなくて、
一人一人が生活をしている中で、他人に対して思いやりの気持をのべ、
友人の如く、それこそこうして欲しいな、と思うことを人にもしてあげる、です。
中国では主として儒教の伝統が強かったので、「仁」という言葉をそれに対比して、
「慈悲」というのは「慈仁(じじん)」と訳していることもあります。
そうしたことから、やはり自分というものを大切にすること、
自分に克つことでもあり、生活実践の中で理想的に百パーセントまでしろ、
というのは難しいかも知れないが、全然できないということではなくて、
むしろ身近な、できることから努力して、それを続けていくことが
自己を愛しむ道であるということかと言う事です。
つまり人間の意欲はいろいろありすが、それを調和を取り、そして整えて進んでいく。
それが人のためになることでもあり、また自己を愛するゆえんでもある、
ということになると言う事なのです。
それが、釈尊も、世界の人類というものの自分というものを見出していく道に
連(つら)なるかと思う訳です、
それに関して、釈尊の最晩年の時のエピソードと、
それからそれに関連した教えをご紹介します、
アーナンダよ、わたしはもう老い朽(く)ち齢(よわい)をかさね老衰し、
人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達して、わが齢は八十となった。
アーナンダよ。たとえば古ぼけた車が革紐(かわひも)の助けによって
やっと動いて行くように、
わたしの車体も革紐の助けによってもっているのだ。
しかしアーナンダよ、向上につとめた人が一切の相(そう)を
こころにとどめることなく
一々の感受を滅したことによって、相のない心の統一に入ってとどまるとき、
そのとき、かれの身体は健全なのである。
それ故に、アーナンダよ、この世で自らを島とし、
自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島とし、
法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。
(『大パリニッバーナ経』)
釈尊の般涅槃(はつねはん)で、「大いなる死」と訳されています、
八十歳になった老人となった釈尊が、ほんとに身体が弱って、
古い車を革紐で結んでやっと動いているようなもんですよ、と。
なんか如何にも老釈尊の老いや身体の不調を隠そうともしない
人柄が如実に出ている感動的なものです。
釈尊は人生の最後には霊鷲山(りょうじゅせん)と言う、鷲の峰呼ばれている山から降りて、 ★
自分の故郷のネパールの方へ向かって旅をしました。
八十歳の老人の旅ですからね。道も今のようによくなかったでしょうから、
そこを弟子を連れて自分でも歩かなければならない。トボトボと歩いたわけですが、
その有様はちょうど古ぼけた車がガタピシになって、辛うじて革紐によって修理されて、
繕われて動いているようなものだ、と。これはほんとにリアリスティックに言われています。
非常に臨場感のある、光景がフッと目の前に浮かんでくるような経典かと思いますが、
侍者和尚として付いていわきるのがアーナンダです、そのアーナンダに向かって釈尊が、
「自らを島とし、自らをよりどころとする」と。それから「法を島とし、法をよりどころとする」と。
この「自分を島とし」というのは、次ぎの「よりどころ」と同じことです。
「よりどころ」というのは抽象的な表現です。それから「島とし」というのは具象的な表現です。
あれは元の言葉で言うと、「ディーパ」といいす
あるいは「洲(す)」と訳したほうがいいのかも知れません。
河の中洲とかいう事です、
インドでは洪水があると、一面に水が溢れ、山が見えません。
インドの中部地方では、一面の海になってしまいす。
人間の住むところもなくなります。
だから仕方なしにいくらか高く水面に出ている洲のところに人々は逃げて行って、頼って、
水が引くまでそこで暮らしているわけです。
このインドの洪水は途方もなく広く。向こうが見えません。
日本では洪水がいくら酷いと言ったって洪水の端は見えるわけです。やはり大陸です。
その辺からインドでは、私達がアップアップしながら生きているこの生活を
大きな荒海に例えているのです、
そうしたものの中にある中洲とか、島とかが、なるほど、これは動かない。
そこに辿り着いていけばしっかりとした拠り所である。そういう意味があります。
自分を拠り所とする。
先程来、我が身可愛やということは認めますよ、と。
そして自分を大切にするということは生活実践の中で他人のことを思いやりながらやっていくことが、
最初の一番基本的な形であるということです。と言うわけです
そうすると、自分を拠り所とするということは、そういう生き方を自分でしないとダメだよ、
という。いわば、ほんとに自己というものを実現していく。自己を見出していくためには、
まず自分の実践がなければダメですよ、と。そういう意味でここはみて行かなければならないのです
自分に頼るというのはどういうことか、と。自分というものを反省すると、
始終選択の可能性乃至(ないし)必然性に迫られているわけです。
毎日こういう生き方をしようか、ああいう生き方をしようか、どっちへ行ってもいいわけです。
選択して、そしてどっちかに決めなければならない。
そういう選択を我々はしょっちゅう迫られているわけです。
自分に頼るというのは、自分でそれを決めるわけですが、
どういう具合にして決めるかということになります。
そうすると、人間が人間として生きていく生き方の理想があるわけです。
生きていくとき道筋がある。それに従って自分が判断して決める。
だから自己に頼るということは、同時に人としての生きていくべき道筋に頼るということになる訳です。
それが「法」と見るのです。
この「法」というのは、元の言葉で「ダンマ」といいますが。
法律という意味よりはもう少し広くまた深い意味があります。
人々の生きていくべきよるべ・道筋と、そういうようなものをインドでは、「ダルマ」と
サンスクリット語で言いますが、「保つもの」という意味があります。
人と人として保つもの。人として保つには必ず道筋があるわけです。
もしもそれを乱してしまえば、人間の顔をしているけど、人でなしだ、
ということになります。
人が生きていくための決まり・法(のり)・道筋がある、と。
それを自分が体現する、と。それが自己に頼ることである、と。
その法を自覚すれば、あるいは他の人と意見が違うことがあるかもしれないけど、
自分はこう生きるのが一番いいと思って断固として進む、
ということもあるわけです。
「百万人といえども我往かん」というようなことです。
道筋というものがある。この道筋といっても、基本は勿論示されていると思うけれども、
十人十色の人間の社会ですから、それぞれに一生懸命自分なりの心の奥底に立ち戻って
良心的に自分の生き方を、選びとっていく。選びとっていく時に、その筋道は、
法というものに各人が一生懸命それに則っていくように努力をしていかなければいけない。
そういう努力をすることが、今の「自らをよりどころとする」ということでもある、という事です。
だから両方が一致するわけなんです。
そうすると、同じことを二つにわけていったような感じがするわけです。
自己に関していう時には、「自己に頼れ」という表現になります
それから人間の普遍的な規範というほうに目をつけていう時は、
「法に頼れ」ということになる。実質的には同じことをいうわけです。
「法」と言うすか、「規範」というものが、何か巻物みたいになって、
床の間に置いてあるので何の意味もないわけです、
またそういうものの道理と言い、筋道であるから、これは、人間が、というよりも、
私どもがそれを生活の中に実践しなければ働きださない道理であります、
我々の現実というものは非常に複雑なものです。いろいろな人間関係におかれています。
そして、ありとあらゆる影響を受けて個人というものが出来上がっているわけですから、
いろいろな条件を構造的に理解して、それで最後に決定を下す、と。
それはすべてを考慮しなければいけない訳です。
目を塞いで、何も見ないで、「俺はこういくんだ」といって、パッと決めるというのは、
そういう生き方では非常に現実から浮き上がってしまう。
「自らをよりどころとする」というのは、馬車馬のように勝手なことをするんじゃなくって、
法に則った努力をするということが自分によることで、それが先程来の、
自己を愛する道でもあるし、自己は勝利者に導く道でもある一方、
法のほうからいうと、法というものを実践するのは自分でなければならないし、と。
自己に頼るということと、法に頼るということが、二つのものを一緒にしなさい、
というものではなくて、最初から自己を頼ることは法に頼ることだし、
法に従うということは、それを実践する自己があるわけなのです、と。そうなると、
私は一人で生きているなんていうことはあんまりあり得なくなってしまいます。
これはあり得ないことでね。それは思い上がりです。
もう人間も他の人との連関を切り離しては考えられないし、生きていくことはできないわけです。
法というものの自体の中にも、さまざまな人間関係もあれば、
自然法則の中に従っていくこともあるし、なんかややもすると、私ども別に
「借金していませんよ。私、迷惑かけていませんよ」というような言い方があるんですが、
本当の意味で自分の自己を知る。あるいは自己を求めていくということは、
むしろ自分が非常に多くのものの関わりの中に置かれている、その中に生かされている、
ということをまず認識しておかないといけないわけです。
「私は借金していませんよ」「他人には迷惑掛けません」と言われても、
その方がそこまで到達するまでには、そういうことが言えるようになるまでには、
無数の多くの人の恩を受けてきているわけです。
それは目に見える、その方が自覚しておられる恩もあるでしょうけど、
目に見えないところで受けている恩もあるわけです。
そう思えば、それに対する感謝の気持ちが独りでに出てくる。
普遍的なこの法というものも、なんか物体みたいなものとしてどっかにあるんじゃなくて、
めいめいの人が実践し、生かすことによって、法としての意味が生きてくるわけです。
人間の美徳なんて言っても抽象的なものがあるわけじゃあいません。
個々の人が実践するからこそ、美徳として生きてくるわけです。
これは大切な問題で。よくいろいろな正しい生き方というものが教えられますが、
あるいは徳というものが説かれますが、ややもすると、それが言葉で終わってしまう。
抽象的な観念として終わってしまって、慈悲だとか、平和だとか、愛だとか、
いろんなことを言いますが、単に机の上の印刷物の活字になっていて、抽象的な観念に留まっていて、
自分の生活に戻ってこない。
それだと、自己を求めるとか、汝自身を知れ、ということにはならない。
やはり汝自身を知れ、自己を知る、ということの一番大切なことのまず第一は、
自分で実践していくということなのです。
その実践する場合に、人間の実践の場面というのは非常に複雑なもので。
だからいろいろな点を慎重に考慮しなければいけない。
そこで己を省みるということが必要になってくるわけです。
どうしても自分一人の存在ではないから、他というものとの関わり、
それが他人かも知れないし、それから歴史的な時間、空間を超えた
さまざまな宇宙の理法との関わりかも知れないし、
そうしたものの中に置かれている自分というものを考えながら、
その理法に則しながらそれぞれの生き方を選び取っていく、という事です。
ところがそこまで思いを致さないと、今ここにいる俺はこのように力があるんだ、と。
そして、つい自惚れてしまうわけです。
そうであってはいけない。自己というものがここにあるのは、
無数に目に見えない過去からの原因であり、条件といえるし、影響といいます、
そういうものが集約して、でここに生きているわけですから、
そこまで思いを馳せることによって本当の生き方ができるだろうと思います。
それが自己というものを現す道もあり、愛する道であり、結局それがもっと俗な言葉で言えば、
幸せというものに繋がる幸福感、本当の幸福感というものに繋がる道であると言えます
汝自身を知るということもポイントになろうかと思います。
新作紹介
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ベートーベン
第九が世界で鳴り響く事自体「精神の力は権力に勝つ」象徴だとおもいます。
この曲は権力の圧迫の中でベートーベン「が未来の人類のために」作り上げた記念碑です
彼はナポレオンをモデルに交響曲3番シンフォニア・エロイカ(英雄交響曲)を作ったが
ナポレオンが皇帝に即位した時 怒りと失望のあまり、楽譜の表紙のボナパルトの文字をかき消した
ナポレオンはフランス革命の理想を裏切った、ただ権力がほしいだけの者だった
ベートーベン45歳の時 ナポレオンが没落(1815年)
ナポレオンに頭が上がらなかったヨーロッパの貴族達は「これで俺達の時代に戻れる」と喜んだ
各国代表がウイーンに集まり ウイーン会議を開いたが、利害が対立して何も決まらなかった
決まったのは「自由主義は弾圧する」と言う事だけだった
貴族達は時代の流れが見えなかった。自分達の権力を保持することしか考えていなかった
こうして復古調の「ウイーン体制」時代が始まり、自由主義 協和主義への検問、監視、が強まった
ベートーベンは自由主義 協和主義であった。威張る貴族や、腐った坊主が大嫌いだった
ベートーベンは ある貴族に「あなたが貴族であるのは、たまたまそう生まれた偶然にすぎません」
「それに引き換え私は、自分で自分を築きました。貴族は何千人もいます、しかし
ベートーベンはただ一人です」「私にとっては精神の王国のほうが大切であり、それはあらゆる
宗教的世俗的君主国の上にそびえるものであります」と言い切っている。
ベートーベンは政治的にも危険人物であり、宗教的にも教会を批判して、目をつけられていた
従来のキリスト教の在り方を疑い、カントの思想、インドの思想等を勉強していた
48歳の時、自由を側圧する事件が起きた
テロの秘密結社が発見された。その結社は青年を使い 暗殺をやっていた。
キッカケを待っていた権力者はこのチャンスを見逃さず、当時の首相は絶好の機会と喜び、
「テロを取り締まる」と言う名目で、出版、言論、思想、自由、すべて粉砕しようとした。
新しい法令を出し、自由の弾圧を始めた。
大学に管理管を置き、自由主義者は弾圧され、郵便物までチェックされた。
民間人のプライバシーの領域まで監視の目があった。ヒットラーの時代と比較される抑圧時代だった。
ベートーベンは怒った。彼の周囲にはいつもスパイが見張っていた。
そういうなかで彼は「半身不随の政治」とののしった・官憲の権力乱用、従順な官民しか
みとめない政府。上層階級の堕落、これらを批判した。
彼は「我々の時代は力強い精神の持ち主達を必要としている。力強い精神の持ち主は小ざかしく、
(こうかつ)で卑劣なこうした悪党どもを、人間の魂によって弾徴するのだ」と言う
彼はあらゆろ国家の廃絶まで考えた。
「芸術家は政治のことなど考えるな」と言われたが、民衆を捨てる事ができなかった。
「少年時代から、他人のために働くことの出来ることは、私の最大の幸福であり、満足です」
「少年時代から、苦しんでいるかわいそうな人々に奉仕しようと言うわたしの熱意は少しも弱まっては
いません」「僕の芸術は貧しい人々の運命を改善するために、ささげられなければならない」
ベートーベンは慈悲の、民衆への奉仕の精神を持った革命家であった。
「国家が憲法をもたなければならぬがごとく、個々人は自分自身の規範を持たなければならない」
自由に熱狂した青年時代から30年以上、今自由は窒息されようとしている。
彼は今こそ、この歌を作曲すべき時だ、と決めていた。
「権力の圧力など一時の陰だ。私は未来の人類のために精神の凱歌を作ろう。」
圧迫の中、体の至る所が病気で、可愛がった甥の非行に苦しみ、歓喜など何処にもない境遇であった
シラーの詩に「奇しき歌の力の支配する限り、あらゆる苦悩の壁は消え去る」とあった。
更にシラーは「権力者に焼き捨てられるような詩を書こう」といっいる。
ベートーベンは感動し、胸中から歓喜を取り出した。
もともとシラーの詩は「歓喜の歌」でなく「自由の歌」であった。
自由主義を恐れる官憲の目を欺くため歓喜と言い換えた。
民衆の歌であり、古いものとの戦いの歌だった。
初演の演奏会には皇帝は来ませんでした。演奏会を開くにも官憲の嫌がらせがあった。
虻が刺したくらいでは 疾駆している馬はを止める¥られはしない」
「私にとって一番苦しいことは、活動を完全に停止されている事だ」
「一個の英雄であるより10倍も大きくあること、すなわち一個に真の人間たる事だ」
「人間が人間に対し卑屈になる。僕はそれが苦痛なんだ」
彼のモットーは「一行なりといえども書かざる日なし」
「多くの人々に幸せを与えること以上に崇高ですばらしいものはない」
死の数ヶ月前、肺炎を起こし、病魔と戦いながら「さらに2.3の大作を世の送って、
我が地上の生涯を閉じたいと願っています」と
3年後ベートーベンが死んだ時も、官憲か危険思想の本として5冊持っていった。
しかし民衆は誰が本当の勝利者か知っていた。ベートーベンの死が町に伝わると、
誰が呼びかけなくとも、1万2万3万と集まり「皇帝」が亡くなったような騒ぎになった
学校も休校になり前代未聞の葬儀となった。
貴族等は参加しない、民衆の葬儀だった
組織につて
組織は本来 理想 理念 目的を持ち それが生命です
目的を追求するのが 組織の論理ですが
人間の論理を無視すると成果は上がらないのです
人間の論理とは 生命 人間性に 最高の価値を置く考えです
組織は手段 人間が目的との考えから 主体性 自由意志を尊重する必要があります
上意下達と 下位上達が 合致しているのが理想で
ずれがあると やる気をなくすのです
組織は中央にまとめるようとする 人間は反対に 好きな事をやりたがる
組織は秩序を求める 人間は自由を求める
指導とは 皆が自分の意思でやる気にさせる事です
分かりました は組織の論理
変わりました が人間の論理
組織悪を唱える人は 主体性を抑圧し 人間性が阻害されると言い
自由業なるものをあえて選ぶ人が多い
では 主体性 人間性を尊重する組織にするには
部下にやる気をおこさせる事です
任せる 意見を良く聞く ゆったりした態度を取る
その逆は
一方的な命令 壁を作る ゆったりした所が無い 自分の考えを押し付ける
どこまでやっても満足したと言わない 仕事を任せない
です
ながくなるから このへんで
簡単にまとめとおく
〇組織とは調和です
〇全体の中に個が犠牲にされてははならない。個の(野望のため)全体が無視されてはならない
〇一人一人が根本の目的、理想と直結した、具体的な目標を持つ事が大事
〇希望と夢、ロマンがないと、充実が欠け、持続、発展はない
〇資質に応じ、最適の位置に配置する
〇組織上の立場は違っても、他があって自己がある、と言う相互尊敬の精神を貫く
〇活動が多岐になり発展しても、常に原点に帰る求心力が無かったら、官僚主義、権威主義に陥る
〇人間的理想の追求の手段が実際の運営の段になると
組織の強化、絶対化が目的になり個人が犠牲になると、組織嫌いが出る
〇不信感は、上役から生まれる場合が多い
それは明確な展望や強い信念がなく、定められた方針を、理由無く変更したりする事から
一生懸命、働いている人に不安に陥らせ、目標が急に変わると、裏切られた気持ちになり
最後は不信感を抱かせる
〇納得できる必然性がある的確な方針を決める
〇原則が大切だが、原則と応用を駆使できる人が重要
〇権利や自尊心が踏みにじられ、講義すらできない事態は組織の生み出す、恐るべき悪である
〇組織悪と言っても人間の変革が絶対必要
〇均一化の側面は必要最小限に、自律の領域を維持拡大していきべき
〇自主的に運営させ、経験を積ませ、自身を持たせる
〇世代格差を埋めることは 妥協でなく 互いの違いを認め、
各世代の良さを発揮、調和する努力が必要
〇人材は見つけるもの、素質を持っていても、磨かなければ、球とならない
〇一分野を任せられる人は多い、全体を統括できる人の育成は至難
〇ワクにはめない、失敗も功績もなく育つと、状況の変化に対応できない
〇人間と人間との触れ合いが育成、訓練の必衰条件
〇洞察力、想像力、労働力、外交力、体力、人間性等、総合的にみる、
一画的な要素で推量するのは危険
〇組織の基本は人作り
〇目的、理想のために、人間を犠牲にする組織は末長い発展はない
〇組織の目指す理想、理念、思想が、すべての成員に浸透されなければ
特定の人のみであれば、権威主義に陥り、自発的前進はない
〇組織の中だけの価値観でなく、普遍的な人間の論理に立脚した判断
〇後を任せる人間を育てれには、多少の失敗は覚悟の上で、権限と責任を持たせる以外にない
更に、新選組の組織等も参考になるよ
項羽と劉邦の違いも参考になるよ
指導者は支配者でもなければ権力者でもない
組織の人達は自分の言う事を何でも聞いてくれると思ったら大間違いである
どれ程多くのリーダーがこの過ちから、自滅していったか事か
人の心は理屈ではない
ちょっとした心尽くし、又、細やかな人情に動かされ、変わっていくものです
武田信玄,についても参考
武田信玄は、戦国時代にあって傑出した英雄であり、大武将でした。
かの越後・上杉謙信と12年間の5回にわたると言われる川中島の戦いを行いつつ信濃をほぼ平定し
最終的には信玄が勝利をおさめたといわれています。
江戸時代から近現代にかけて『甲陽軍鑑』に描かれる伝説的な人物像が広く浸透し、風林火山の軍旗を用い、
甲斐の虎と呼ばれ、強大な武田軍を率い上杉謙信の好敵手としてのイメージが形成されています。
天下を取った徳川家康や、かの織田信長も、信玄を恐れ、一目も二目もおいていました。
また、徳川家康は、作戦でも、政治面でも、信玄の戦略、政策の影響を多くうけたとされています。
とくに今年の戦国武将ブームで、人気を集めている戦国武将の一人です。
●万人を生かす慈悲心
大将の条件の一つとして「慈悲を忘れぬことが肝要である」と教えたことは特筆すべきこと。
優れた大将はというものは、武道に優れていることは言うまでもないが、学芸についてもたしなみがあり
慈悲が深い。礼儀をわきまえ、普段はおだやかであるが、いったん怒ると殿中はもちろん、
国中の泣く子も泣きやむほど威厳がある。
信玄は、平素から領民を慈しみ、規律を正し、領民から信頼されるように努めた。
慈悲の名君・信玄を慕って、甲斐の領民は食事の際には必ず、「館君」と称えたほどである。
また、信玄は「万事小さいことより、次第次第に組み立てていって
、後に大事が成るのである」との信念を持っていた。
ものごとの理をきちんと弁えて、鋭い人間洞察のうえから「小事が大事」ととらえたのである。
こうした信玄の生き方は、今日の社会にあって相通ずる原理を含んでいるように思う。
●適材適所で人材を生かす
多様な「人材」と「人材」を、どう的確に結びつけ、最大限の力出させていくか。
それは指導者の器量と、適材適所の配置いかんにかかっている。この点においても信玄は類まれな人物であった。
信玄は、同じような性格の侍を好んだり、似たような態度、行動のものばかりを大事に召し使うことを嫌った。
こうして信玄のもとには、山本勘助をなどの武田二十四将をはじめ、実に多彩な人材がしゅうけつしている。
●過ちなき人物の見方
沈着と愚鈍は、大変な違い。
何の思慮もなく口出しする人のことを信玄は“口たたき”と呼び、さばけた人と見誤ってはいけないと戒めている。
そういう“口たたき”に限って、立派な武士に対して、憎く思えば悪口を言いふらし
反対に自分に物をくれて機嫌を取る人を快く思い、自分と仲が良ければ悪い人間でもほめるものだ、
と信玄は指摘している。
信念のない人は、自分の知りもしないこと作りごとを言い、意外と強情なものである。
●賢将は「五分」の勝利を上とす
五分の勝利は励みを生じ、七分は怠りをもたらす。十分の勝利はおごりを生む。
上杉謙信が、信玄にかなわなかったのは、この一点にあるといわれている。
★★★
よく、組織を強くするという話がある。どうやったら組織が強くなるか、
組織なんて言うものはどこにもないんです。
組織というものは観念のものであって、人間と人間がつながっているものなんです。
だから、組織を強くするということは、一人一人を強くするしかないんです。
教育し実践させて、結果を出させることです。
それしかないと思うんです。
よく言われていることは、
「指導」「教授」「訓練」「擁護」とあります。
「指導」とは「教え導く」こと
「教授」は教えること
「訓練」はやらせること
「擁護」とは守ってあげること
あくまで「指導主義」で行くんです「指導主義」であって「教授主義」ではないんです。
その上での「教授」「訓練」「擁護」はなければいけないけど、
根本は「指導」なんです。
その上で「教える」事もあれば、「やらせる」事もあれば「守ってあげる」事も必要なんです。
根本は「指導」なんです。
「指導」がなくて「教授」と「訓練」と「擁護」ばかりだと本当の成長はないんです。
そういう面で「指導」「訓練」があれば必ず人は「育つ」んです。「教授」ではないんです。
指導とは決意させること
その「指導」とは何かというと、
その人の「一念」を。簡単に言えば「発心」させること「決意」させること。
「指導」とは「決意」させること。「発心」させることと言っていいんですね。
その上で、いろいろなことを「教えてあげる」あるいは「実践させる」あるいは「守ってあげる」事は必要です。
根本はあくまで「指導」なんです。「指導が」下手をすると今、出来なくなってる。
色々なことを教えたり、動かすこと、守ってあげることは出来るかもしれないが、
根本の「指導」が出来ないと人は育たないんですね。
だから下手をすると幹部が「運営上手」の「指導べた」になってしまう。
組織とか会合の「運営」はうまくなったけれども「指導」が出来ない。
「決意」させる事が出来なくなっているんですね。これが一番恐いことだと思うんです。
その「指導」とは「決意」させる事であり、その前提として、何の為にを明確にする事です
それを「学び」その原理を一人一人のなかに打ち込んで、訴えて「決意」させていくことですね。
これが「指導」になるんです。
相手が「決意」して「実践」すれば必ず「成長」するし「後に結果が残る」。
これが「指導」「訓練」なんです。
「指導」の原則というのがあるわけです。
勇気を本当に自分のものにして、今度は、それを「実感」をして訴えていかなければいけない。
「理論」として訴えてはいけない。
「頭で分かった」ということと「出来る」ということは別問題です。
「やる」ということと「結果が出る」ということは別問題なんです。
だから本当に「結果」の出たものだけがちゃんと「やった」ということになるのです。
結果のでない活動をしてもしょうがないんです。
そうゆう面で、どう結果を出すかということが一番大事ですね。
ではどうすれば「結果」が出るのかということです。
頑張ろう、これだけやらなくちゃならないということは沢山あるけれども、
どうすればそれを実践して、そして「結果」を出せるかということが大事になってくるのですね。
簡単に言うと「勇気」しかないんです。
「勇気」とは何か?


