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アンカー 1
まえがき
戦後、荒廃と混乱と窮乏の中、戦乱から解放された
人々は、民主主義と言う新しい理想を掲げ、周りの煩
わしさに戸惑いながらも、ひたすら前だけを見て突き
進んでいた。
その中には、置き去りにされた不運な人達もいた。
その厳しい環境の中で生き抜き、負けなかった子供
達の、純白のキャンパスに描かれた虹色の思い出の中
に、現代の豊かさの中で求めても、決して得る事の出
来ない、心の内なる豊かさがあった。
それは経験で得た知識であり精神であるため、人間
の言葉をいかに駆使しても伝え難い事でもあるのだ。
見捨てられた高山のガレ場に根を下ろしたコマクサ
は、吹雪に向かい、雄々しく生き抜いた。そして、小
さな美しい花を咲かせた。
そして、すべての役目を果たし、笑みを浮
かべながら、この世の舞台から静かに去った。
誰か称えん。
生々流転しゆく社会の中で、取り残された人々の
心の叫びを、あますところなく写し取り、それを伝
える言葉などあるのだろうか。
この物語は、極限の中での家族愛を、そして友情
を、幾筋もの光を当てて表し、伝え難い思いを伝え
ようと書き記したものである。
コマクサ
rokusan
(1)
お雪婆は見た。
不気味な光が台地を這いずり回る様を。醜い
雲が沸き上り、満天の星空を覆い隠す様を。
遥かな地平を赤く染める血の流れを。
お雪婆は聞いた。
絶え間なく響き渡る大地の震えを。寒風の
中、狂ったサタンの雄叫びを。
お雪婆は祈った、
ひたすら天に届かんと、人々の悲鳴に答え
んと。寒さを忘れ、時を忘れ、唇が渇き、
倒れる程に。
一九四五年三月十日未明。
三百機のB二九の編隊は、東京の下町を
中心に、大規模な無差別攻撃を開始した。
二千トンの焼夷弾を雨の様に降らし、大火
災を発生させた。
この日だけで焼失家屋は約二七万戸に達
し、死者は十万人以上、罹災者数は一〇〇
万人以上に達した。
お雪婆は見た。
冷たい北風に向かい、曇天の下、果て
しなく続く行列を。
蟻のように、いや、くたびれた蟻のよ
うに
転々と、又、帯のように長く長く果てし
なく。
誰も彼もが黒くにじんだ服に、ススけ
た顔に、腫れあがった赤い目をしている。
頭からボロ着れをかぶり、人とは思
えぬ哀れな姿の人もいた。僅かな荷物を
背負う人や、首から肩から、汚い袋をぶ
ら下げている人もいる。逃げていく哀れ
な敗残兵のように、皆ひたすら北へ北へ。
穴のあいた服を、恥ずかしげもなく着
こな
す夫人もいた。誰の助けもなくヨロヨロ
と歩
く初老の人もいた。中には怪我をして、
そのまま傷口を晒している人もいた。赤
く滲んだ布切れを巻き付けている人や、
ひどい火傷で、顔をしかめながら苦しそ
うに歩く人もいた。
すべて失い 命一つで故郷に帰るので
あろうか、誰も言葉を失い、ひたすら北
へ北へ。
何処の農家も見て見ぬふりをしていた
。中には雨戸まで閉めて、あえて家の中
に引きこもり外へ出ない人もいた。
戦時中である、人々の感覚は麻痺し狂
わせていた。誰も信じられない殺伐とし
た世の中だ、我身を守るだけである、仕
方のない事かも知れない。
お雪婆は、桶に水を汲んできた。
「目を洗って行って下さ~い」
言葉を失った表情のない人達が、感
情を思
い出したかのように、
「ありがとう、ありがとう」と、何度
も何度も言うのである。
お雪婆の周りには、安堵した顔が並
んだ。
お雪婆の行動に、周りの農家の人達
は初め
は黙って横目で見ていたが、良心を思
い出したのであろうか、見て見ぬ振り
は出来ず、自然にお雪婆の振る舞いに
続こうとした。
火傷や怪我の治療が多く、ドロまみ
れの傷口を洗い流す事ぐらいしかでき
ないが、農家の長老が。
「それでいいんだ。殺菌が一番大事な
んだ。布を直接巻くな。油を練ってや
れ」と、色々と指図していた。
肌が黒くなるほどのひどい火傷の人
もいた
「さほど痛くない」と言っていた、こ
の先の病院を紹介されていたが、治療
を受けられただろうか。
人の輪ができた。下町の悲惨な状況
が何時までも語られた。奇跡的に助か
った訳を皆が語っていた。生きている
事の喜びが語られた。遠い故郷までの
道のりが、思いが語られた。 中に
は、疎開する人を『卑怯者』であるか
のように言った軍部に、不満をぶつけ
る人もいたが、皆に静止させられて
いた。
一九一五年八月一五日
正午からラジオで放送された玉音放
送により、ポツダム宣言の受諾により
、日本の降伏が国民に公表された。
(二)
終戦直後、焼け落ちた家の一角に座
り込み、
いつまでも動かないお雪婆がいた。
一郎をおんぶした母が声をかけた。
「どうしました、お婆さん」
「・・ああ、何か形見の品でもねえ
かと思うて、土を掘ってみたがよ・
・・何もありゃあ
しねえ・・・皿の欠片が出て来ただ
けじゃ・
・・それだけじゃ」
母は尋ねた。
「お身内の方のですか」
「そうじゃ、婆は疎開する前、息子
とここに
住んでおったんじゃが、あの空襲以
降、息子からは連絡が来んでのう、
何処で死んだものやら、全く分から
んでのう」
母はおおよその事情は分ったが心
配して言った。
「それはお気の毒です、ですがお婆
さん、ど
ちらからいらしたのか分かりません
が、もう
帰らないと日が暮れますよ」
「いや、ありがとう・・・そうだが
ね、もうしばらく息子とここにおる
よ」
一朗の母は家に帰るや、その事を
父に告げた。
十年近く母子で住んでいたが、八
月十日の大空襲の前に、お雪婆だけ
が近郊の実家でもある農家へ疎開し
ていたそうだ。
母は父に聞いた。
「お父さん、その息子さん技術者で
すよ、その人の事知りませんか。直
ぐそこに住んでたんですって」
「うーん、それだけじゃ分らんな、
その人はどんな仕事してたのかな、
気になるな」
父は母にその場所を聞く
と、すかさず家を
出て行き、そのお雪婆のい
る焼け跡に向かっ
た。
しばらくして父が、お雪婆の手を
引いて帰ってきた。
「母さん母さん、うちの会社に関係
のあった人らしいぞ。多分、取引先
かお得意さんか、だと思うよ。
母さん、今日一晩泊める事にした
、いいだろう。お雪婆はこれから帰
ると言うが、今からだと大変だから
『明日にした方がいいよ』
と言ったんだよ。それに、もっと詳
しく聞きたいからな」
どうやら、空襲で破壊された父の
会社に関係のある、業者の人らしい
事が分かった。
いや、父にとっては、そんな事は
どうでも
よかったのかも知れない。亡くなっ
たお雪婆の息子さんとは会った事も
無い、他人である。
父の勤めていた会社は、この地域
ではかなり大きく、会社の周辺には
、何らかの取引のある、関係のある
中小の工場が多くあった。
父は終戦を迎えると、一早く母の
実家の疎開先から家族を呼び戻した
。母と姉、そして生まれたばかりの
一郎である。
一朗の自宅は、あの三月十日の大
空襲で、父の勤める会社と共に焼け
落ちてしまい、今住んでいるのは、
奇跡的に焼け残った会社の社宅の一
軒だ。食糧難を乗り越えた一郎の一
家も何とか
生活も安定し始めていた。
その頃、父は多くの同僚や部下を
亡くした事に対する自責の念にさい
なまれるようになっていたと言う。
それは、大きな工場内の空き地に
、大きな防空壕を作った事だったの
だ。
あの三月十日の大空襲で、工場に
対する集中砲火は激しく、安全と思
われた、その防空壕に非難した人達
に悲劇が襲ったのだ。殆ど全員死ん
だのだ。
その多くは、父の会社の部下や従
業員である、空襲警報が鳴るたびに
『工場を守る』、と言う名目で、こ
こへ避難しにくるのだ。
父の会社は軍需関係の工場だった
ため、徴兵されずに工場に残った人
もかなりいた。最低限の技術者や指
揮を取る役員等がいなければ製品が
完成しないからである。
一郎の父も徴兵されなかった一人
である。
特に副社長としての立場から、製
品を作る
責任と工場を守る責任と共に、従業
員を守ると言う責任もあったのだ。
父は、防空壕に逃げるチャンスを
逃し、街中を炎に終われ逃げ回って
いた。皮肉なもので、その父が助か
ってしまったのだ。
決して父のせいではないが、少し
酒が入る
と親しい友人を思い出し、嘆いたり
愚痴ったりするのである。
「大黒柱を亡くして家族は大変だろ
うなあ。
あいつには田舎に父母がいる、気
の毒な事をした」等と語っていたそ
うだ。聞かされる母が大変だったら
しいのである。
初めて会ったお雪婆を家に連れて
来たのも
分かるような気がするのである。
又、父の一家は離散し、小さい時
から養子に出されたため『お母さん』
と呼べる人がいなかったそうだ。
父は母と結婚する時、母の親に会
った時、『お母さん』と呼べる人が
いる事が『すごくうれしい』と言っ
ていたそうだ。
どうやら年寄りに対する特別な思
いがあるのかも知れない。
それは、一郎が父と列車で出かけ
た時の事
でも分かる。わざわざ年寄りを探し
、座っている一郎に、「席をゆずり
なさい」と言い、一郎は立たされる
のである。
それどころではない、座っている
他人の子供に対しても、何の遠慮も
なく、
「君、お年寄りに席をゆずりなさい
」と平気で言うのである。
後々一郎も父の真似をしたことが
あった。
他人の子供に言うのは、結構勇気
がいるもだと分かった。
お雪婆はそのまましばらく一郎の
家に止まり続けた。一郎の子守やお
姉ちゃんの遊びの相手をしてくれた。
亡くなったお雪婆の息子は、決し
て若くはないが、晩年に生まれた一
人息子だったと言う。
『生きている』と言う連絡を待った
が、つい
には来ず、夢枕に息子さんが寂しそ
うに立っ
ていたので『死んだ』と確信したと
言うのだ。
年老いた母を残して死んだ息子さん
の無念さはいかばかりであろうか。
そして、お雪婆の悲しみは、いかば
かりであろうか。
戦争で最も悲惨な思いをするのが
女性であり、母親である。母たちを
悲しみの淵に突き落とした権力者達
を、心の奥底から憎みたい。
母の涙が不幸のバロメーターであ
る。
母の笑顔が幸せの、平和のバロメ
ーターである。
(三)
一郎の家の前の道路を横切ると、
広い野原が広がっていた、その野
原の向こうに、破壊された工場の
残骸がある。そしてその奥に、町
のシンボルの様に高くそびえ立つ
一本の大きな煙突があった。
一郎はいつも遠くから眺めてい
て、あそこに行ってみたかった。
近くで見て見たかった。
暖かな早春の午後、
一郎は冒険を決行した。
小さな畑のわき道を
進み、僅かに芽吹い野
原を横切り、壊れた穴
だらけの塀を抜け、凸
凹した道なき道を更に
進んだ。
煙突は近ずく程にぐんぐん大
きくなる、わくわくしながら更
に進む、そしてついに、あの大
きな煙突の真下にたどり着いた。
見上げると、とてつもなく大
きく、まぶしい程に白く輝いて
いる。そして、恐る恐る手の平
で障ってみた『冷たい』一郎に
とっては大満足の瞬間だ。
丸い入り口があった。一郎は
何度も何度も
ためらったが、その煙突の中に
入って見る事
にした。
腰を少し屈めて入ると、薄暗い
足元に欠けたレンガの破片が一面
に転がっていた。
上を見上げてみた。
レンガを螺旋状に積み上げて
作った煙突で、
それがずいぶん壊れていて、
足元の欠けたレ
ンガはその残骸だった。
そして遥か真上に暗闇の中、空中
に浮かんでた。
一郎は満足げに明るい外に出た。
そして帰
ろうとした時、一郎は驚いて立ち
すくんだ。
煙突の壁の直ぐ横に、小柄な老
婆を発見したのである。
つい先程まで誰もいなかったは
ずだ。乾いた小石だらけの地面に
、何も敷かずに正座して動かない
老婆だ。
幾筋もの深いしわに、後ろで束
ねた白髪の
何本かがそよ風に揺らいでいる。
黒っぽい和
服に黒っぽい帯。もし薄暗い所か
ら現れたら
一郎は怖くて泣き叫ぶかもしれない。
一朗がいつも見ている、近所のお
婆さんとはぜんぜん違う、見た事が
ないお婆さんだ。
老婆は手の指を絡ませて合わせ、
首を深くたれていた。そして又動か
ない。
良く見ると、老婆の前のエントツ
のまぶし
い程の白い壁に、花束が立て掛けて
あった。更に良く見ると、小石を並
べた上に線香が炊かれている。
老婆は不思議そうに、じっと見て
いる一郎
に気がついた。
つややかな、しわだらけの顔の大
きな目が
鋭く一郎を捕らえた。一郎は驚いて
動けない。
老婆は体をゆらしながら正面を向
いた、そ
して一郎をじっと見つめた。そして
突然。
「おお・・・一郎だべえ・・一郎だ
べえ・・間違いない一郎だべえ」
しわがれた響きのある大きな声
に一郎はび
っくりした。老婆は急に笑顔に
なった。
「大きくなった、大きくなった、
見違える程
大きくなったのう、何歳になった
んじゃ」
一郎は黙って指を四本出した。
「これ一郎、そんな不思議そうな
顔すんな、
このお雪婆の顔を忘れたか、この
シワシワの顔に見覚えがあるじゃ
ろう・」
老婆は大きく目を見開き、亀の
ように首を
突き出した
「ほーら、よーく見て思い出せ・
・はははは、はは・・見覚えがあ
るじゃろう」
大きな笑い声だ、そして大きな
口だ、何本
もの欠けた歯が良く見える。笑う
と顔のしわ
が一段と増える、こんなお婆さん
一度見たら
忘れやしない。
しかし一郎には思い出せない。
一郎は落ち
着いた、そして言った。
「僕、お婆さん知らないよ」
「はははは・・そうだいねぇ、
忘れてしもうたか、はははは、
しかたないのう」
そして 老婆は歌を歌い始めた。
「ハアー、サンコサラリトヨーイ
ヤサーノーヨー、サーオーノコサ
ンコサラリトヨー・・」
「どうじゃ、この歌聴いた事ある
じゃろ」
一朗は即座に答えた。
「聴いた事ないよ」
「そうなんかそうなんか
、やっぱり無理か。
お雪婆が一郎をおん
ぶして、よー歌った歌
じゃ。一郎がこんなに
小さかった時じゃった
からのう、覚えてらん
のは当たりまえじゃ」
老婆はニコニコしながら、首
を縦に小刻み
に何回も動かした。
一郎はおんぶされていた事さ
え覚えていな
かった。
お雪婆は、膝をポンと叩き、
「よっこらしょ」と立ち上がっ
た。
「お母とお父は元気か」
「うん」
「お前の姉さんは元気か」
「うん」
「お母とお父に、お雪婆が帰っ
て来たって言っておけ・・・後
で寄るでな」
「うん」
「ところで一郎、ここで遊ぶ
のはだめじゃ。
この煙突の中には、お化けが
住んでおって、近くで子供を
見ると、足を引っ張って、煙
突の中に引きずり込もうとす
るんじゃ。そん
で出られなくなるんじゃ。怖
いべえ、そらっぺでねえぞ。
お雪婆が、早く成仏するよ
う説得しとるが頑固なおばけ
が沢山おるで、なかなか言う
事を聞かんのじゃ・・・んだ
から、あの塀からこっちには
入ってはいかんぞ・・・ええ
な、一郎」
一郎は家に帰るなり母に聞
いた。
「ねえお母さん、あの煙突に
いるお化け見たことある。
ねえ、どんあお化けなの」
「さあ、見たことないわね。
お化けなんていませんよ、
誰がそんな事言ったの」
母はいそがしそうに台所
で夕飯の仕度をし
ていた。
「お雪婆が言ってたよ、
子供を見ると引っ張るんだって。
「え~、一郎は・・お雪婆知っ
てるんだ・・
一郎、お雪婆と何時合ったの。
何時何処でよ」
「さっきだよ、うちにも来る
ってさ」
母は驚いたように一朗に聞い
た。
「え~、一郎、お雪婆知って
るんだ、覚えているんだ」
一朗は慌てて否定した
「知らないよ知らないよ、さ
っき初めて会ったんだからね」
「ああ、そういう事なのね。
お雪婆はきっと危ないから
、一郎が近ずかないように言
ったんでしょう。
そんでさあ一郎は、あんな
所まで遊びに行くの、一人で
、だめだよ、あの先には隅田
川が流れていて、柵もないか
ら危ないんだよ。
一郎・・絶対一人では行か
ないようにね」
一郎は直ぐ返事をしたが、
大きな煙突の話をしたかった。
遥か空中に浮かぶ丸い青い空の
事だ。
「でも僕は行ったよ。煙突は
すごく大きかっ
たよ。お雪婆がいたよ。煙突
を拝んでたよ。
花も置いてたんだよ。
ねえお母さん、どうして
煙突を拝むの」
「ああそうだったのね・・あそ
こで沢山の人が死んだからよ、
お雪婆が弔っていたんでしょう
。・・・あ、そうか。今日は三
月十日だっけね。そうそ四年前
の今日あおね」
「沢山て、何人」
「数え切れない数の人達ね、お
父さんのお友達もね」
「何で死んだの」
「このあいだの空襲でね」
「空襲っ何」
一郎の矢継ぎ早の質問攻めに
母は困った。
「今忙しいから後でね、お父さ
んがよく知ってるから、帰って
きたら聞いて見ようね」
「空襲っ何」
「ほら、一郎がいつか拾ってきて
、お父さん
に見せていたでしょう。機銃掃射
の球だっけ、
飛行機からバリバリバリって打
つのよ。あと
焼夷弾とか爆弾とか、降ってく
るよ。それから、ほら、一郎が
ドジョウがいるって言ってた、
野原の奥の池があるでしょう。
あれは爆弾の破裂した痕なのよ
、分かった」
一郎は ますます分からなく
なった
「お母さん見てたの」
「お母さんはお姉ちゃんと田舎
に疎開してい
て見てないわよ。お父さんが見
ていたから帰ってきたら聞いて
みなさい。お父さんは工場を守
るために、ここに残っていたん
だから、良く知っているよ」
「どうして田舎なら大丈夫なの」
母はどうも面倒くさい様子だ
った、そして
一郎を無視して姉に言った。
「お姉ちゃん、お膳を出して、
茶碗と橋を並べてちょうだい」
「ハーイ」
ここからは母と姉の夕飯に
関する対話が始
まり、一郎はその話の中に入
り込めず、あき
らめた。
そのうち父が帰ってきて、
丸いちゃぶ台の
前に座った。
姉がラジオのスイッチを入れた
。六0ワットの裸電球の下、
殆どの家と同じように質素な
食事が始まった。
その晩、父の自慢話を聞いた。
「お父さんはあの工場の重役だっ
たんだぞ、
部下が沢山いて忙しくて大変だっ
たんだ」
母があいずちを打った。
「あの時はお母さんだって大変で
したよ。家
に、大勢の部下を引き連れて来て
、酒を出せとか飯を出せとか。そ
れも夜遅くにね」
「いやー、飲べえが多くて付き合
いも大変なんだよ。おかげで皆
よく働いた」
母はすかさず言った
「私もね」母は更に言った
「又、新婚だと言うのに、お父
さんは何日も帰ってこない時も
あるんだから。お母さんは大き
な家に何日もたった一人だった
のよ。本当に田舎に帰ろうかと
思いましたよ」
「いや~仕方ないさ母さん。国
の命令なんだ
よ。忙しいのは父さんだけじゃ
ないんだぞ」
母はすかさず言った
「でも一度、真夜中に、裏口か
ら入って来た時は驚きましたよ」
父は遮るように言い返した。
「いや~、あの時は表の戸が閉
まっていて仕
方なく裏口に回って『母さん母
さん、戸を開けけてくれ』って
小さな声で呼んだんだよ。
何の返事もないから、戸を外
して中に入ろうと思い、戸をガ
タガタさせていたら、お母さん
は大きな声で『キャー、ドロボ
ー』って叫ぶんだ。近所の人が
飛んできてくれて。『誰だ~』
て怒鳴られて『私です私です』と
ペコペコ謝って、分かってもらっ
たが。イヤー、本当に恥ずかし
かったよ」
父と母の楽しそうな会話はし
ばらく続いた
そして父の自慢話が始まった。
「めっぽう摩擦に強いベークラ
イトと言うの
を作った、ほら家にあるだろう
、あの茶色い
棒だ。戦後、配給の米がモミ付
きで来る事があるんだ。何処の
家庭も精米機なんか持ってない
よ。仕方なく一升瓶にモミ付き
の米を入れて、あの棒で突いて
精米するんだ『カチャカチャカ
チャ』ってね。ベークライトは
傷さえ付かない。変な所で役に
たった。
それから、めっぽう軽くて丈夫
なジュラルミンと言う金属を作っ
た。飛行機の部品だが、ほら、母
さんの裁縫箱があるだろう、その
ジュラルミンで作ったんだが、丈
夫過ぎるくらい丈夫だな。
まだまだあるぞ、ほら、あの六
角形をした鉄のかたまりが工具箱
にあるだろう。あれは飛行機のエ
ンジンの一部だ。全部お父さんの
会社で作ったんだ」
父はニコニコしながら更に話し
た。会社で
奮闘し、会社が発展していく様子
を語り、工場長になり、副社長へ
と出世した事も聞かされた。
又、戦時中、大勢の腕の良い従
業員が次々と戦争に取られてしま
い、変わりに何も知らない学生が
手伝いに来て大変だった事や、
三月十日の大空襲の時の話もして
くれた。
父は酒をゆっくり飲みながら語
った。一郎にも分かるように語った
つもりだろうが、一郎にはよく分
からなかった。
「戦争に行った同僚も地獄を見た
よ。その犠牲者の殆どが、戦ったの
ではなく飢え死にだそうだ。残っ
お父さん達も地獄を見たよ。
お父さんの工場が真っ先に標的
にされて、
集中砲火を受け、真っ先に炎に包
まれたよ。
『工場をを守る』と言う名目で集
まってくれた従業員だが、巨大な
火柱を呆然と見上げるだけだ。
何度もやっていた防火訓練だが
、何の役にも立ちゃあしない。
とにかく防空壕に避難させたよ。
軍の奴等は『焼夷弾を恐れるな
、逃げるな』
何て言ってるが、雨の様に降って
くる焼夷弾を恐れない奴などいる
わけない。
あっと言う間に、そこら中から
火の手が上がり、強風にあおられ
て火の海だ。火の粉の中をただ逃
げるだけだ。
近くの高台に軍が設置した高射
砲があり、
敵の爆撃機を狙って打っていたが、
情けない事になかなか当たらねえ
んだ。
当たらないはずだ、爆撃機は弾
の届かない遥か上の方を飛んでい
るんだからな。
お父さんは逃げる途中、戦闘機
から狙われ
て、一瞬逃げ場を失ったよ。『駄
目か』と思
ったが、目の前に一本の電柱があ
った。立っ
たままその陰に隠れて、何とか
助かったよ。
頭上で、火を噴きながら旋回し
、墜落するる爆撃機を見て、巻き
込まれないように走った走った走
った。
空気は異様に乾いているため、
火の子を払わないと突然燃え上が
り、火だるまになるんだ。誰も何
もしてあげられないんだよ。
なにしろ防空壕に避難させた人
が皆死んで
、火に追われて逃げ回っていた
、お父さんが助かったんだよ
。運命とは不思議なもんだなあ」
母は笑顔で言った。
「お父さんは運が良かったんです
よね」
父はうなずき。
「その通りだ、家も会社も焼き尽
くされが命だけは残った。きっと
神様が『お前にはまだやる事があ
るぞ』と言っているのかも知れな
いな」
父の話は続いた。
「日本の空軍の戦闘機などいや
しない。その時お父さんは、日本
は絶対に負けると思ったね」
父の話は更に続いた。
「又多くの人が火に追われて墨田
川に飛び込んだよ、そして溺れた
り凍死したりしたんだな。又、不
思議な事に、川の上を火が渡って
行き、浮いている人さえ焼け死ぬ
んだ。
墨田川を多くの遺体が上げ潮引
き潮に合わ
せて行き来しているのを見たよ。
橋の真ん中で、逃げ場を失い、
折り重なった遺体を見たよ」
母が遮った
「お父さん、その話は怖いから
聞きたくありませんよ」
しかし父の話は続いた
「誰だか分からない大量の遺体を
トラックで
運んできて、あの煙突で処理して
いたよ。
我社の煙突が臨時の火葬場の焼
却炉になったんだな。
まさに、あの煙突は大きな墓標
と言う事になるな。
お雪婆があの煙突に合掌してい
たのも、一朗に『お化けが出る』
と言ったのも、そう言う理由が
あるからなんだね。
そしてあの玉音放送だ。ガー
ガー雑音がひどくて聞き取りに
くかったが、『戦争に負けた』
と言う事だけは分ったよ。
終戦の日、女達は泣いてい
たよ、悔しくて
泣くんじゃないんだぞ。『も
う逃げなくてもいいんだ』って
うれしくて泣くんだ。
皆、大本営発表が嘘である事
に気がついたよ。平気で嘘が言える、
陸海空のエリート達の恐るべき体
質だな。
一郎達はいいなあ、もう戦争は
ないだろう
からな」
父は、その後も度々空襲の話
をしてくれた、
特に酒が入ると止まらない。母
に、
「その話はもう聞きましたよ」
と何度も言わ
れていた。
一郎には理解できない話も多
かった。
「東条英樹の『共同一致』の演
説を、どこの
新聞マスコミも賛美し、あおっ
ておきながら
奴ら、誰一人責任を取ってい
ない。
ほとぼりが冷めた頃、奴ら
が再び頭を持ち
上げる様な事がないように願
いたいね」
(四)
人は誰人と言えども、生きる
権利を持って生まれて来たはず
だ。その権利を奪う戦争は、間
違いなく悪魔の仕業と言える。
戦争の歴史を学ぶと、そのま
ま人類の歴史となってしまう程
、戦争に明け暮れたのが人間あ
る。
その戦争の背後には必ず『差
別、抑圧、貧困、人権侵害』と
いった『構造的な獣の暴力』が
存在する。
更に、悲しみの涙に暮れる人
々に対する、恐るべき『無関心
』がある。生命を軽視した独善
的な思想を持つ『冷笑』する権
力者が存在する。そしてそれを
支持する愚かな民衆の存在も忘
れてはならない。
戦後、誰もが口癖のように『
騙された、騙された』と言って
いた。『大本営発表』がひどい
嘘で固められていたためだ。そ
のため、『大本営発表』と言う
言葉は、嘘の代名詞になって使
われていた。
騙す方も、騙される方も悪い
のである。
世の中を平和にするのが、人
々を幸福にするのが、すべての
学問の行きつく先でなければな
らない、それが学問の目的でな
ければならない、それが学問の
使命でなければならない。
学問とは、悲惨な闇から抜け
出す幸福への道標でなければな
らない。
それなのに何故、識者と言わ
れる高学歴の人々は、容易く道
を踏み外すのか、これ程までに
野蛮なのか、これ程までに愚か
なのか。誰かおしえてほしい。
誰か、誰か。
愚かな戦争へと走る、欲望や
エゴイズムの暴走を抑える崇高
な学門があれば、愛や理性を養
う気高き学問があれば、毒され
た精神を変革できる深い学問が
あれば、速やかに教えてほしい。
いや。
深く思いを巡らす時、悲惨な
歴史の灯台が示すその先に、多
くの賢人や聖哲が生涯を賭して
解き明かした『平和への正しい
道筋』は示されていると言える
のではないでしょうか。『愛と
良心へと導く確かなる方法』が
明らされていると言えるのでは
ないでしょうか。
深く思いを巡らす時、
すでに哲人の不滅の真理は明
かされている。
すでに賢人の大我への道は示
されている。
すでに聖人の不変的
な愛はそこにある。
平和へのメッセージは出尽く
した。と思うのです。
それを知識として習
得している人は数限り
なくいるはずである。
実践を試みた人も多く
いるはずである。しか
し、何故か?。
不正と憎しみの前に。
愛と良心は、かくも抵抗する
事なく敗北するものであろうか。
不滅の真理は、かくも単純に
崩れ去るものであろうか。
正義と勇気は、かくも弱々し
く消え去るものであろうか。
何かが足らないのだろうか。
あと、何が必要なのだろうか。
今だ見ない聞かない、想像を
超えた、巨人の出現を、大竜の
出現を祈らずにはいられない。
(五)
父の働いていた会社は、戦後間
もなく、戦地から帰国した従業員
や役員が集まり、戦前の技術を生
かし、再建を目指し準備を進めて
いた。
しかし、その最中に社長が病に
倒れ、行き詰まってしまった。
社長は癒えることなく亡くなり
、会社も再建することなく挫折し
てしまった。
今度は副社長だった父が中心に
なり、引き続き再建を目指してい
た。
そして、その最中の出来事だ。
一朗の弟が生まれた時だった。
父が突然倒れ、何処かの病院に
運ばれた。
一郎の家にアメリカの進駐軍が
やってきて、白いDDTの粉を、
家の中と言わず外と言わず辺り一
面に積もる程まいていった。
一郎の家族の長い冬の季節の
始まりである
。笑い声がなくなった。母も姉
も無口になった。
一郎は何度も何度も、毎日毎
日、母に尋ねた。
「お父さん、いつ帰ってくるの
、いつ帰って
くるの」しかし、母は無言だ。
ミシンの音が絶えず響き、針
仕事をしている母の後ろ姿しか
見えない。
小学生になったばかりの姉は
、母の代わに
一切を引き受けて働いた。子守
、洗濯、掃除
、買い物、食事の支度までだ。
一郎の口癖は「何かない」で
ある。粗末な
食事に満足しないのである。
ある日、食卓から煮物や漬物
が消えた。麦飯と実の無い味噌
汁のみの食事が何日も続いた。
一郎は抗議した。
「他に何かないの、これだけな
の」
「我慢しなさい明日は何か買っ
てくるからね」
一郎は泣いて抗議した。姉が
母を助けた。
「お父さんが帰ってくるまで我
慢しようね、
一郎はお兄ちゃんでしょう、恥
ずかしいわよ」
一郎は次の日も抗議した。
「そうだ、おにぎりにしてあげ
ようか、丸がいいかな、三角が
いいかな」
母は知恵を出したが一郎はな
かなか聞かない。一郎は我慢す
る事をいち早く教わったが、い
つまで待っても叶えられないと
短気になる。一郎の気短は此の
頃養われたようだ。
当時、お米は配給制度であり
、十分の量はないため、配給と
は別にヤミで購入していた人も
かなりいた。
時々珍しい乾パンの配給も
あった。
一郎は封筒を開けてみた、
母に内緒で食べてみた。この世
にお菓子が存在する事は知って
いたが、まさにそのお菓子であ
る。初めての味だ、おいしかっ
た。
直ぐ母に見つかり取り上げら
れてしまった
母は何処に持って行くのだろう
か。
家の小さな空き地に小屋を作り
、数羽の鶏を飼っていた。その世
話をするのが一郎の役目だ。夕方
になると放し飼いの鶏を『トート
ートー』と言って餌を上げるふり
をして小屋にさそい入れるのであ
る。
しかし卵を食べた記憶がない。
卵を産まない雄鶏だったのか、
いや、母は料理に使っていたの
だろうか、売っていたのであろ
うか。
又、小さな庭で茄子やキュウ
リを栽培していた。これは何回
も食べた記憶がある。
一郎はいつものように
「何かない」と母に言うと
「庭の茄子を取ってきなさい、
焼いてあげる
よ」と言って、練炭の火や、電
気コンロの上で焼いてくれた。
これは美味しかった。この時
の焼き茄子の味は忘れられず、
一郎の大好物になった。
何時だったか、母の知り合い
のおばさんの家に行った時の事
だった。
「今日は一郎ちゃんの好きなも
のをご馳走す
るからね、何が好きなの」と聞
かれた。
一朗はすかさず。
「茄子」と言った。
「一郎ちゃんは安上がりでい
いわね」と言われ笑われた。
更に生活は苦しくなった。小
銭を数えている母の姿を見た。
この頃の極貧生活を書くべき
か、書かざるべきか、何度も悩
んだ。
『ひどい親だ』と錯覚されたく
ないからだ。
夜遅く、売れ残った食品を買
いに行く母の姿は哀れだ。驚く
べきは、少々臭いがする腐りか
けた食べ物を何度も洗い、食べ
ていた。
ある時、一朗の全身に吹き
出物ができた。蕁麻疹である。
数日で完治したのは幸い
であったが、引き続き弟が発
病した。
この時母は弱音を吐いた。
「ああ情けない」
それからしばらくしてから
、次に起きた症状は辛かった
。
それは、一郎の両方の耳た
ぶの付け根に亀裂が入り、血
が滲むのである。赤チンと言
われる殺菌剤を塗るが、何の
効果も無かった。
夜、寝る時が大変で、寝返
りを打つと耳が枕に当たり、
激痛が走るのである。
又、服を着替える時も大変
で、耳に触れないようにゆっ
くり着替えるのだが、耳に触
れてしまい激痛が走るのであ
る。
「耳がちぎれそうだよ」と、
何度も母に訴えたが、そんな
小さな傷で病院には連れて行
ってもらえず、本当に辛かった。
栄養の偏りだと思うが、そ
れが何ヶ月も続いたのである。
でも、そのような傷は日が
経つと治るかも知れないが、
心の傷は簡単に治らない。
近所の友達と遊んでいた時
、その友達の母親が。
「お菓子取られないようにね」
と、その子に注意していたので
ある。
一朗は、その子の持っている
お菓子が欲しくてその子と遊ん
でいるのではない。
そして、その子の母は、せせ
ら笑うように言った。
「貴方もお母さんに買ってもら
えばいいでしょう。ハハハハ」
母を蔑むような言葉を浴びせ
られたのである。一郎の心に傷
が付いた。
又同じ頃だった、
一郎の命に傷が付くよう
な無慈悲な言葉を聞いた。
母は赤ん坊を背負い、一郎と
姉の手を引い
て知人の家に行った。
どんな関係の知人か、どんな
用事で行ったのか、どんな会話
がなされたのか分からないが、
一郎が覚えている言葉は。
「亭主まだ生きているのか」
と言う凍り付くような言葉だ
っだ。
その日、テーブルの前に座り
、全く動かな
い母の後ろ姿を見た。
有る寒い日の夜、赤ん坊が泣
き叫んでいた。火の付いたよう
な泣き方に、針仕事をしていた
母がその異常に気が付いた。
母の悲鳴にも似た驚きの声に
、姉が飛んできた。赤ん坊は足
に火傷を負ったのである。
湯たんぼを布で幾重にも巻き
付けて、赤ん坊の布団に入れて
置いたが、巻いていた布の僅か
な隙間に赤ん坊の足が振れてし
まったのだ。
母と姉は慌てた様に応急的に
水で冷やし、母は薬局に薬を買
いに出て言った。
姉は何度も何度も、
「ごめんね、ごめんね」
と、泣きながら赤ん坊に謝って
いた。
一郎は赤ん坊の火傷を見る
が怖かったため、見なかった。
赤ん坊は治療した後、すやす
やと眠りに付いたため、母も姉
もとりあえず安案した。
姉は赤ん坊に小さな声で
「ごめんね、ごめんね
」と何回も言っていた
更に姉は。
「私の責任だよね、だって、泣
いてるの分かっていたのよ『う
るさい』と思ったのよ、もう直
ぐ、かたずけが終わるから、待
ってて、て思ったのよ」と、泣
きそうに言った。
母は
「お姉ちゃんのせいじゃないで
しょう、お母さんのせいでしょ
う、お母さんが油断したせいで
しょう。お姉ちゃんは全然悪く
ない。分かったわね、いいわね
『ごめんね、ごめんね』はもう
言わないでよ」と、強く言った。
それでも姉は納得せず。
「でもお母さんのせいじゃない
、仕事中だもの」と言い返した。
母は笑顔で言った
「お姉ちゃんは凄いね。だって
『私の責任だ』と言い切るんだ
から。
普通、なかな言えないよね、
誰だって悪い事は人のせいにし
て、責任を逃れようと言い訳を
するものでしょう。
お姉ちゃんはお母さんと同じ
責任感を持っていたんだね。お
姉ちゃんは器が大きいね」「お
母さん、器った何」
「心が、大きい、広い、高い、
深い、そして正しいと言うこと
なのよ。そしてそれは、お姉ち
ゃんの振る舞いや、言葉使いや
、顔の表情にまで現れて、多く
の人から慕われる事になり、良
い友達も沢山できる、というこ
とになるのよ」
暖かい母と姉との会話の中か
ら一郎は『責任』を持つ事の大
切さを教わった。
(六)
一郎の家に緊急に援助があった。
母の実家からお爺さんがやってき
たのだ。
大きなザックに、沢山のみやげ
物を詰め込んでやってきたのだ。
一郎と姉は歓声を上げた。しかし
日持ちのする乾燥食品や漬物や衣
類等で、歓声を上げるのは本当は
母の方であったかもしれない。
その夜 母とお爺さんとの長い
会話が夜遅くまで続いた。
お爺さんの家は、山奥の寒村に
あり、豊ではなかったが、母に、
いざという時には、子供を連れて
帰ってくるように言ったそうだ。
いざという時は、どのような時
か。母も姉も一郎でさえも分かる。
母が東京に出て来たきっかけは、
家を助けるためだった。
最晩年、親戚のある人からその
事情を詳しく聞かされて驚いた。
母の実家は豪農で豊かであった
。
家に隣接する蔵の奥から、木箱
に収まっていた故文書を発見した
。藩主の家臣と思われる人物の名
で書かれた書で『この土地を俸禄
として〝加藤兵右衛門〝に与える』
と言う内容の手紙だそうだ。
お爺さんはその書を額に入れて
部屋に飾り『我が家は由緒ある家
柄である』と自慢していたそうだ。
しかし印鑑一つで、すべてを失
ってしまった。
母は突然、強制的に奴隷の様に
、東京に連れてこられたのである
。一家を救うためであった。
母は、女学校の卒業式を迎える
直前だったらしく、お爺さんは。
『卒業式だけには出してあげたか
った』と何度も何度も言っていた
そうだ。
その詳しい事情は、母は決して
口に出さなかったため、一郎は知
らなかった。
そう言えば、母は、幼い妹と別
れる時の辛さを話してくれたこと
があった。
そして、更に辛かったのは、そ
の妹が病気で先立たれた時だそう
だ。遠く離れていれば、なおさら
の事であろう。
後に、その辛さは一郎も味わう
事となるのだ。影のように付き従
っていた弟を失った時は本当に辛
かった。
『愛別離苦』愛する人との別れ
は、誰人たりとも避けられない、
人はそうした苦しみや悲しみを背
負って生きていかねばならないの
だ。
生とは何か、死とは何か、深く
深く思いを巡らせる時、究極の法則
としか言いようがない。
又 しばらくして あのお雪婆が
米を送ってくれた。
その日、真っ白いご飯が出た。一
郎は一口食べて驚いた。白い米がこ
んなに美味しいものだっのか、すっ
かり忘れていたのだ。いや、いくら
麦が多く入った我が家のお米と言え
ども、その美味しさの違いは驚く程
だ。配給のコメが古米だったのか古
々米だったのか分からないがまずい
のである。
でも、この頃の一郎には、貧しい
と言う自覚は全くなかった。いい人
達に囲まれていたからだと思う。
一郎は贅沢な食事に抵抗を感じる
ようになったのは、このせいであろ
うか。
一朗が大人になってから、ホテル
での豪華な食事を前に、あの頃を思
い出し、しばし考えさせられる事が
ある。この地上には飢えている人が
どれ程いるだろうか、申し訳ない気
持ちが出てしまうのだ。
一郎は山小屋での質素な食事がち
ょうどいいと思った。しかし最近で
はかなり豪華だ、山のてっぺんでウ
ナギの蒲焼が出た。
ここで笑い話をしておこう。
今、我が家には女房と二人の子供
がいる。
たまに一つ鍋ですき焼が出る。
不思議なことが起こった、すき焼
をやるたびに、鍋に入れる肉の量が
少なくなるのだ。すなわち、すき焼
風野菜の煮物みたいな料理になって
しまったのだ。
私は女房に言った。
「何故野菜ばかりで肉の量が少な
いのだ」
女房は
「何時も肉が余るから少なくした
のよ」と言うのである。私は笑え
なかった。
実は、私は気を利かせて、なる
べく子供達に多くの肉を食べさせ
ようと思って、私が野菜ばかり食
べていたためだった。
子供達は子供達で気を利かせて
、四分の一しか肉を食べないのだ
。すなわち私の分だけ肉が余るの
だ。それを女房が錯覚して、肉が
多過ぎたと思ったのだ。
私の気持ちは子供達にも女房に
も伝わらなかった。私は子供達に。
「家の中では遠慮はいらない」と
言った。
女房には
「俺は肉が嫌いではない」と言っ
た。しかし、実はやむおえない事
かも知れないのだ。
女房と付き合ってから、焼き肉
屋とか寿司屋とかに入った事が無
いのだ。私が何となく拒否するの
を見ていて、肉と寿司が嫌いと
錯覚していたのだ。
私は贅沢が嫌いなだけなのだ。
それは生まれつきなのだ。
ホテルでの朝のバイキング方
式の豪華な食事でも、塩鮭のお
茶付けを食べてしまうのである。
ホテルでシャブシャブが出た
時、食べ方が分からず、困った
事があった。聞くと笑われそう
で。
後輩を連れて、ステーキを初
めて食べに行った時、店員に焼
き方を聞かれて『プレミアム
と言ったら、店員が笑いを堪え
ていた。
知り合いの子が遊びに来た
「おもちゃで遊ぼう・・・お
もちゃ箱何処、
おもちゃ箱何処」と言った。
一郎は最後まで黙っていた
。その子の家に
行った時、おもちゃ箱に一杯
のおもちゃがあった。
一郎の家にはおもちゃなど
一つも無い、ましておもちゃ
箱等ある訳が無い。
又、ある時、近所の叔母
さんが、
「ご飯を炊き過ぎたから、
もってきたよ」と言い、かな
りの量を持ってきてくれた。
おそらく炊き過ぎたのでは
なく、一郎達のために、わざ
わざ多く炊いたのである。母
の友人は近所にも多くいた。
皆いい人達だ。
此の当時の食べ物の思い
出は尽きない、やはりお腹
が空かしていたんだと思わ
れる。
母は、後々この頃の事を
話してくれたことがある。
『十円のお金もなかった。
悔しかった。情けなかった
』と。
この頃母は、一朗と姉に
二枚の写真を見せてくれた。
一枚は ピアノの横にドレ
スを着て、微笑を浮かべて立
っている綺麗な女性の写真だ
。 もう一枚は大きな乗用車
のボンネットに寄り添う堂々
とした父の写真だ。
「これはお父さんだね、でも
、この女の人は
誰?」
「お母さんよ」
一郎は信じられなかった、
写真の中の女性に母の面影が
見当たらないのである。
「違うよ、全然似てないもん
」
「よく見て、お母さんよ」
母が言うんだから、そうだ
ろうと思ったが一郎は信じら
れなかった。何とか納得させ
られたが、どうしても別人に
見えた。
それも当たり前かもしれない
。ドレスを着て、化粧して舞台
にいるピアニストと、薄黒い作
業着みたいのを着ている、今の
母の姿は違い過ぎるのだ。しか
し、一つ謎が解けた。
こんな貧しい我が家にも、
何故か足踏み式
のオルガンがあるのだ。
姉が母に教わり、簡単な曲を
弾くのは見ているが、母の演奏
を一度も聞いた事が無いし、オ
ルガンの前に座っている姿も見
たことが無い。しかし一度だけ
、姉が、
「お母さんの演奏は凄い凄い凄
い」と、興奮してい事があった。
更に母は語る。
「お母さんの家は大きくて立派
だったのよ、家の前を通る人が、
こんな家に住んでみたいって言
ってたのよ」
母は戦前の夢のような暮らし
を話してくれた、久しぶりに見
る母の笑顔だ。
「写真これだけ」
「そうよ、これだけよ、後の写
真はあの家とともに消えたのよ
・なにもかもね」
一郎は生涯この言葉を忘れな
かった。
「消えたのよ・なにもかもね」
そこには、怒りが込められて
いた。
楽しい思い出はこの二枚の写
真の中以外何もない、と言う事
なのだろうか。
(七)
姉が叫んだ
「あ・お父さんだ」
大きなドアの向こうの大き部屋。
沢山の電球が釣り下がる天井に硬い
床、そして消毒の臭いだろうか、か
すかに漂う室内。そして同じ形と色
のベッドが幾つも並んでいる。そし
て金属の触れ合う音。一朗が始めて
見る病棟の大きな一室だ。
一郎は探した。皆んな同じ痩せた
人達で浴衣を着ている。
「何処、何処」
向こうのベッドの横に座って手
招きしている痩せた人がいた。よ
く見るとそれが父だった。
何か月も待った父との面会だ。
しかし、一郎がいつも描いている
、大きな頼れる父とは少し違って
いた。いや、少しではない。驚く
程痩せていて、やたら白く、無精
ひげを僅かに蓄えた顔が小さく見
えるのである。
母と姉そして弟そして一郎が長
い間待っていたその瞬間だ。
姉と一郎はうれしくて、はしゃ
ぎ過ぎて大きな声を出してしまい
、母に注意された。
そして父から、退院の見通しが
付いた事を
告げられて、姉と一郎が大きな声
で歓声をあ
げて、又母に叱られた。
その母は死ぬまで、父の病名
が何であるか
を言わなかった。
父は退院したが、極端に体力
が無くなって
いた。はっ、と思わせるほどの
細い手足である。
一郎は昼間でも寝ている父の
姿を何回も見た。しかし生活の
ため、父はのんびり療養する事
などできなかったのだろう。
体力の無い父の仕事の種類は
、おのずと限
定されてしまうため、厳しい我
が家の経済状況を打開するため
、母は洋裁の内職に加え、束ね
た薪の販売等も始めた。
小さな庭はトラックで運ばれ
てきた束ねた
薪で山ができた。
当然家事の一切を姉が引き受
けた。一郎も
自分の事は自分でやるしかなか
った。誰も頼
れないからだ。
他人を頼らず、何でも自分で
やってしまう一郎の性格はこの
頃養われた。
父は、石油や石炭の販売を手掛
けた。やがて、友人や知人等を集
め、会社を設立した。
一郎の家は夜遅くまで、多くの
人の出入りで賑やかになった。
一郎の家族に『のんびり』と言
う言葉がない。朝から挽まで誰も
彼も動き回るからだ。
たとえ日曜と言えども、ゆっく
りくつろいでいる父母の姿を一
郎は見た事がない。
その血は一郎も受け継いでし
まったらしい
。
一郎は、のんびり、ゆっくり
が嫌いだ。
そんな忙しい中、父は一郎と
姉を連れて一度だけ海に連れて
行ってもらった事がある。
混んでいる電車の中で、座っ
ていた一郎は
父に。
「一郎、席を譲りなさい」と言われ
、近くいた高齢の女性に席を譲った。
大混雑の中、一郎はやっと届く吊
り革に必死につかまったが、後ろか
ら押され、揺らされ、一郎は体力的
にかなり厳しかった。
それでも初めての海水浴に、姉と
一郎は大はしゃぎだった。もちろん
泳げないので浅い波打ち際で遊ぶだ
けである。
父は姉に泳ぎを教えていたため、
一郎は一人であった。
しばらくして 膝程の浅い所で一
郎は何故か目まいを起こした。目の
前が一面白く霞み、その後は何が起
こったか記憶にない。
どれ程の時間が過ぎ去ったのだろ
うか、気
が付いたら砂浜で大勢の人に囲まれ
て仰向け
に寝かされていた。
母の叫ぶ声が聞こえたが、体が自
由に動かせず、やっと父の背中につ
かまり、負ぶさり近くの病院に向
かった。
医者は父母に病室から出るよう
に言った。
一郎は医者と看護婦に囲まれた。
そして、のどに何かを差し込まれた。
『ゲーゲー』何回も何回も、口から
鼻から目から何かを吐き出した。
苦しくて叫び声を上げる事さえ
もできなか
った。涙を流すだけである。初めて
味合う地獄だった。思い出したくも
ない。
医者はその様子を父母に見せたく
ないため父母に病室から出るように
言ったのだ。
後々まで父は『あの時一郎は死ん
だ』と言
っていた。要するに貧血を起こし、
浅い所で溺れてしまったのだ。そして
発見が遅れたらしいのだ。
現在、『有体離脱なる現象を体験
した』と言う人がかなりいるが、多
くの体験は生死の境目で起きている
ようだ。
一郎はこの時、自分の姿を上から
見ると言
う貴重な体験をした。夢と言う人も
いるだろうが、その鮮明さは忘れな
いのである。
気を失い、最初に気が付いたのは
電車の中だ。一郎は一人で家に帰ろ
うとして電車に乗ったらしい。そし
てボックス席に座り、流れる景色を
見ていた。前に座っている人の顔さ
えはっきり覚えている。
少しすると、自分の意志に関係な
く、突然
電車の窓から飛び出し、ものすごい
勢いで線路の上の電線付近を飛んだ
。そして一瞬にして元の砂浜にたど
り着き、大勢の人に囲まれている自
分を発見したのである。
一郎は海が嫌いである、水が嫌い
である。
後々、中学での学校の体育の授業
で、プールでの水泳教室があったが
、一郎は必ず欠席した。三年間欠席
し通した。
全クラス対抗の水泳大会もあった
。皆楽しそうである、しかし一郎
は絶対見学である。
水に対する恐怖は病的であり、
一生直らない。山が好きになるのは
泌然であろうか。
(八)
一九五〇年三月
復金インフレの収束と、市場の
機能改善、
単一為替レートによって日本経済
が世界経済
にリンクされ、国際市場への復帰
が可能にな
った。このこと自体良い事ではあ
るが、その
一方で、デフレーションが進行し
「ドッジ不
況」いわゆる安定恐慌が引き起こ
され、七月六日には、ついに東京
証券取引所の修正平均株価は、史
上最安値となる八五二五円を記録
した。これは現在に至るまで最安
値である。そして失業や倒産が相
次ぐのである。
そして父の経営する会社はその
影響をまともに受けてしまうのであ
る。
弟のおかげだろうか、一郎もすっ
かり兄らしくなった。もうわがまま
が通じないのである。『お兄ちゃん
でしょう』と言われると、
何も言えないのである。
そんな一郎の家に、季節は夏だと
いうのに
突然冬がやって来た。
冷たい雨が激しく音を立てて降る
夜、襖を
隔てた隣の部屋から父と二人程の誰
かと激しく言い争う声が続いていた。
一瞬静かになったかと思えば、突
然罵声が
飛び交う、早口になったと思えば
又静かになる。
一郎は言葉の意味は分からないが
、非常事
態が起きている事ぐらい分かった。
母と一郎達は小さなテーブルを囲
み静かに この争いの終わるのを待
った。
母はたまりかねたのか、その言い
争いの修羅場に飛び込んで行った。
長い時間が流れた。誰も寝ようと
しない。
更に長い時間が流れた。
それから数日後、見た事もない
三人の男性
が一郎の家にやって来た。父が留守
だったため母が対応した。
父が留守である事を告げたが、そ
の男達は大きな声を張り上げ、無理
やり母を押しのけて玄関に入ってき
た。そして敷居に腰掛け、
鋭い目で、乱暴で激しい口
調で脅迫した。
一郎は震えた。しかし母は全く退か
ず動ぜ
ず毅然とした態度で対応していた。
三人の男を相手にした母の冷静な
態度は、
やがて男達を冷静にさせて、最後は
丁寧に挨
拶をして帰って行った。
一郎は驚いた 今までに是れ程た
くましく
強く頼れる母を見たことがないか
らだ。
一郎は心で叫んだ
『誰か、お母さんを誉めてあげて』
数日後、二人の警官がきて、父母
と長い話
をしていた。
それから数日後の寒い夜の事だっ
た。手に 包丁を隠し持った男が来
た。その男は。
『これから誰かを殺しに行くから』
と父に了承を求めに来たらしいので
ある。
父と母の懸命な説得が続いた。そ
の男はドサクサにまぎれて『やる』
と言うのだ。父母の説得に男は思い
止まったが、悔しさに男泣きしてい
た。
母は急いでその男に食事を出した。
この年、この時期、多くの中小零
細企業が倒産した。父の会社は連鎖
倒産である、多くの被害者の一人が
父である。
買ったばかりの母のミシン、母の
鏡台、思
い出の父のカメラ、主なる家具類も
持ち出さ
れた、そして家の明け渡しまで迫ら
れた。
そして多額の借金だけが残った。
父は車のドライバーとなり急場を
しのいだ。
引っ越した家は、狭く暗く異様な
匂いがする一軒家だ。父の寂しそう
な背中を見た。
母は、毎月決められた日に、決め
れた金額を支払うために、何処かに
出かける。
父は、母や子供達に。
「もう一度、商売を始めるからな」
と何回も言う。しかし母は。
「お父さんは騙されやすいから」
と反対する。
父の大きな夢も、借金を抱え家賃
を払い三人の子供を育てながら。
そして何よりも、大病を患つた弱い
体では、会社設立の資金を貯める事
など、到底出来ないのである。
更に母は何回もつぶやく。
「お父さんはね、あの病気の後、
頭が悪くなったみたいよ」と言うの
である。一郎は頭の良い父など知ら
ないから、どうでもよかった
が、体力がない事を隠すために、頭
が悪くなった振りをしているのかも
知れない。
戦後、殆どの家は貧しかった。
しかし、そ
れを自覚しないのが幸いである、
すなわち、それが普通であり、当
たり前だからである。
一郎の家では、魚は骨まで焼い
て食るのが当たり前だった。お米
に大量の麦を入れるのが当たり前
だった。
そのころ学校の野外での行事に
、各家庭で作った弁当を持って行
くのだが、一郎の弁当は白米に麦
が半分ほど入った弁当だ。父は、
「健康のためだ」と言うが、正直
まずいのである。
一郎は母に
「クラスの皆の弁当と違うよ、麦
飯は恥かしいよ」と抗議した。す
ると母は小さな声で、「ごめんね
・・・」と言い黙った。
すかさず父が母に言った。
「弁当の時ぐらい何とかならない
か母さん」
母は黙って、じっと弁当を見て
いる。
・・・一朗は、はっ、と気が付
いた、そして反省した。
『僕は母に何て事を言ってしまっ
たんだろうか。母が謝る必要など
無いはずだ。こんな小さなことで
、母を悩ますのは絶対に良くない』
一郎は命に刻み込むように決意
した。
『今後小さな事にこだわらない、
そして誰の
せいにもしない』と。
おおよそ借金とは人間らしい生き
方を奪う
場合がある、もちろん何かを買うと
言う目的
があり、余裕の生活であればも問題
ないが。
借金は自由を奪われるだけでなく、
責任も負わされる。奴隷は自由がな
いが責任を負わされる事はない。あ
る意味、借金の返済に追われる人は
奴隷以下だ。
(九)
姉が中学に入学したとき しばし
ば学年ト
ップの成績を上げて構内に張り出さ
れた。
近所の母の友人が、我が事の様に
喜び、わざわざ姉を褒めに来てくれた。
別の近状のおばさんは。
「運が良かったんしょう」などと、
皮肉って言っていた。
そして一郎にとって、生涯に影響
を及ぼす程の、激動の年の幕が開か
れた。
姉は三年になると学校創立以来初
の女性の生徒会委員長に選ばれた。
中学一年になった一郎も、姉に続
こうと思ったが、その違いに気が付
き、直ぐ諦めた。
姉は何時何処で勉強していたのだ
ろうか。
学校では誰よりも忙しく、家では
母の変わりに家事はもとより、買い
物まで手伝い、一郎や弟の勉強まで
見てくれていた。
姉は何時何処で勉強しているのだ
ろうか。
夜の、ほんの僅かな時間だけだろうか
。一郎は一度、聞いた事がある。
「姉さんは何時、何処で勉強してい
るの」
すると姉は。
「誰もいない静かな場所でね」と言
う、しかし、そんな所がある訳ない
と思った。更に、「どうすれば一番
になれるの」と聞いた。姉は笑いな
がら。
「魔法の力よ」と言う。もちろん、
そんな魔法の力などない事はわかっ
ているが、不思議だった。きっと学
校の帰りに友達の家で勉強している
のだろう。一郎はそう思った。
後々分かった事だが『誰もいない
静かな場
所』とは『墓地』の事だった。
確かに学校の帰り道から少し逸れ
た所に、大きな墓苑がある。木陰も
あり、屋根付きの休憩所みたいな所
もある。確かに静かだ、勉強をする
には最適な場所かもしれない。
そして『魔法』とは『希望』の事
であった。
『希望』には不思議な力がある事
は確かだ。
如何なる劣悪な環境に置かれても、
例え全てを奪われても、絶望の底から
でも、人間は希望を抱く事ができる。
希望は与えられるものではなく、自ら
が生み出すものだ。
希望の炎さえ燃やし続けていれば、
未来を創造することができる。その人
には行き詰まりがない、諦めもない、
惰性も無い、堕落も無い、成長がある
、充実がある。
まさに希望とは、我が人生を励ます
魔法の力であり、神が人間にのみ与え
た、唯一の特権ではないだろうか。
教室の一番前の席に、おとなしい
小柄な子
がいた。洋一と言う。目立たない奴だ
が勉強
は出来る、いや勉強しかできない奴だ。
あだ名は『ガリ勉』である、陰では
『ガリ勉小僧』とか言われていた。
ある日の休み時間、一郎がガリ勉の
前を通
りかかった時、ガリ勉がカードのよう
な物をカバンの奥にしまうのを見た。
「おいガリ勉、今の見せろよ」
一郎は軽い気持ちでガリ勉の前に手
の平を出した。ガリ勉は一郎を無視し
て横を向いている。一郎は再度言った。
「見せる位ならいいだろう」一郎は今
度はガリ勉の顔の近くに手を出した。
その時、突然、ガリ勉の拳が一郎の
顔面に飛んで来た。
驚いたのは一郎だけではない、周り
のクラ
スメイト達も驚き一斉に「オー・・」
と声を
上げた。すべての視線が一郎とガリ勉
に向け
られた。
教室の中は静まり、皆、次の成り行
きに注
目した。ちょうどその時、授業開始の
チャイ
ムが鳴った。
皆ざわめきながら各々自分の席に
着いた。
一郎は興奮している自分を抑えな
がら席に着いた。
一郎の頭は混乱していたが、何が
あったの
か冷静に考えようとした。
『何も悪い事はしていない・・・何
故・・・
皆の前で理由無く殴られたのだ。男
としてこのまま済ます訳にはいかな
い・・・しかし何故』
前の方のガリ勉を見ると、何事も
無かった
ように平然としているように見える
し、しょ
げ返っているようにも見える。
一朗は困った。『相手が悪すぎる
のだ、いや相手が弱すぎるのだ、
喧嘩をするような相手ではない。殴
り返しても何の自慢にもならないし
、弱い者いじめに見えるかも知れな
い。かえって皆はガリ勉の見方に付
く可能性さえある』
時間はあっという間に過ぎ、授業
終了のチャイムが何事もなかったよ
うに鳴った。
「起立。礼」
そしてクラスの誰もが、一郎が如
何に行動するか、如何に仕返しをす
るか、注目した。
一朗が殴り返して終わりか。ガリ
勉が誤っ
て終わりか。どっちだ。
一郎は一番前の席のガリ勉の前に
立った。
「おい、ガリ勉・・・」
ガリ勉は横を向いたまま無言だ。
振り向きもしない、謝る気配もない。
何故だ、覚悟を決めているのか。
一郎は思った。
『謝って欲しい、それです
むんだからな・』
だがガリ勉は何も言わない
、一郎を無視して
いる。
クラスの誰もがその成り行きに注
目をして
いる。しかし一郎はとても仕返しを
する気に
はなれない。一郎は勇気を出して言
った。いや、仕方なく言ったのだ。
「おいガリ勉。さっきの事は無かっ
た事にし
ておくからな」
一郎は皆の視線を避けるため、用
もないのに薄暗い廊下に逃げるよう
に出た。
するとガリ勉も小走りで、一郎を
追いかけるように廊下に出てきた。
そして一郎を追い抜き、一郎の正
面に立ちはだかった。
ガリ勉は無言で握手を求めてきた
。
一郎は無言でガリ勉と握手した、
無言でもお互いの気持ちは分かって
いる。
数日後の放課後、ガリ勉は一郎を
誘った。
「俺の家に寄っていかないか」
「え・・・ああいいよ」
一郎はちょっと驚いた。ガリ勉に
は友達が
いない、おとなし過ぎるからだ、そ
れだけで
はない、何を誘っても必ず断るから
だ、そし
ていつも下を向いて歩いている。ク
ラスの皆が思っている事だが。
『いるかいないか分からない、付き
合いずらい、話しずらい、絶対笑わ
ない、運動神経無さそう、ガリ勉小
僧』
そのガリ勉が一郎を誘ったのだ。
たわいも無い話をしながら、大通
りから路
地に入った。ガリ勉の事を硬い奴
、難しい奴
と決め付けていたが、話をすると
そうでもな
い事が分かった。
右に曲がり左に曲がり、一郎も
来た事もな
い所に来た。
「ここだ・・・上がっていけよ」
二階建ての木造の家だが、どう
にも低い、
普通の二階建ての家より低いので
ある。更に
良く見ると、土地の形に合わせて
立てたのだ
ろうか少し変形している。
引き戸を引いて小さな土間に入
った、直ぐ
前の部屋に二人の女の子がいた。
「俺の妹だよ」
一郎は元気良く挨拶した。
「こんにちは」ガリ勉の妹は恥ずか
しそうに軽く頭を下げた。
ガリ勉は 梯子のような粗末で急
な階段を猿が木に登るように上り、
²
2階に案内した。
思った通り天井が低い、一郎の背
丈なら何
とか頭がぶつからないが、普通の大
人や背の高い人は腰を屈めなければ
ならないだろう。
背の低いガリ勉には丁度いいかも
しれない。
この家はガリ勉の父親が作ったそ
うだ。やはりプロの大工さんの作り
とは違う。壁は大きさの違う板を無
理やりつなぎ合わせたようで、とて
も綺麗とは言えない。
しかし天井に張り付いている明か
りは、最近出始めたばかりの蛍光灯
だ。褒める所を探せと言われれば、
その蛍光灯ぐらいだ。
一郎はその部屋の奥を見て驚いた
。何段もの棚に綺麗に整頓された大
量の本だ。
「いやーすごいなー・・・ずいぶん
あるなー
何十冊どころじゃないな、何百冊だ
なーこれ
全部ガリ勉のか」
「そうだよ」
汚い部屋に似合わないように、
沢山の単行
本や参考書が並んでいる。
「本屋に来たみたいだ、ガリ勉が
勉強のでき
る訳がわかったよ。本当にうらや
ましいよ、
俺とは環境が全然違うぜ」
ガリ勉は直ぐ否定した
「何言ってんだよ、これみんな俺が
自分で働いて買ったんだ。神田に古
本屋街があるんだ
よ、そこで買うと安いよ、ほら、み
んな古本ばかりだ」
一郎は又驚いた、見直した、こい
つは凄い奴なんだと思った。
「おいガリ勉 お前働いてるんか・
・本当か
よ、すげえな・・・で、何やってん
だ。新聞配達か、牛乳配達か」ガ
リ勉は又否定した
「いや違う、新聞配達なんかじゃ
ないよ。そんな楽な仕事じゃない
よ。
俺は俺のためでもあるが、我が
家の生活のために働くんだ。これ
は俺の運命だと思うよ
・・・でも、俺は嫌じゃないんだ
。今日はその事で一郎を呼んだん
だよ。
この間の事覚えてるか。一朗
に見せなかったのはこれだ」
そう言うとガリ勉は机の引き出
しから一枚のカードを取り出して
一郎に渡した。二つ折になってい
るカードで中を開けてみると、幾
つもの印鑑が綺麗に並んでいた。
「はー、なるほど、これだったの
か、何か大事そうだな、でさー何
これ、説明しろよ」
ガリ勉はカードを返してもらう
と、大事そうに机の引き出しにし
まった。そして。
「誰にも知られたくない事なんだ
けど、俺さー、ゴルフのキャディ
ーやっているんだ。殆ど毎日ね。
お客がいなくても球拾いや掃除が
あるから行けば幾らかにはなるん
だ。
行きたくなければ行かなくても
いいから、気は楽だよ。だけど日
曜は休めないよ、忙しいからだ、
朝から晩まで次から次とバッグを
担ぐ」
一朗は荒川の河川敷に、都民ゴ
ルフ場と言うのがあるのを知って
いた。
「ああそうか、ガリ勉はあそこで
働いているのか」
ガリ勉は詳しく説明した。
「そのカードにバッグを担いだ分
だけ印鑑を押してもらい、毎月十
日に清算し、その場で一か月分の
現金が支給されるんだ」
一郎は広い河川敷に友達や兄弟
等でも、父と釣りにも、何度も行っ
た事がある。学校の行事で小学校
の一年生程度の遠足や、写生会等
でも行った事がある。
とにかく広く、さほど危険な場
所もなく、自然にできた池もあり、
まさに自然のままの、子供たちの
絶好の遊び場になっていた。
しかし突然、建設機械等が入り
、立ち入り禁止になってしまった。
気が付いた時は上流から遥か河
口の方向まで、広大なゴルフ場に
なっていて、土手下の道路は、ゴ
ルフ場専用のマイクロバスが往来
するようになっていた。
一朗達は不満だった
「都民ゴルフ場って、都民のため
のかよ、俺も都民なんだけど、俺
達には全く関係ねえよな。野球が
できなくなったじゃねえか、釣り
もできねえじゃねえか」土手の上
から皆で不満を言い合い批判した
事があった。
一郎はガリ勉が大きく見えた、
大人に見えた、感心した、そして
誉めた。
「ガリ勉は大人だな、すごいじゃ
ねえか、誰でもできる事じゃねえ
よ。
だけどよ、何で内緒にするんだ
よ。隠す事なんかねえじゃねえか
、それどころかよ、これは自慢で
きる事じゃねえのか、それを『誰
にも知られたくない』なんて言うの
、俺には分からねえよ」
しかしガリ勉は首を横に振り否
定した。
「自慢できない訳があるんだよ。
俺の親父は大酒飲みで、酒癖が
悪く、よく家の中で大暴れするん
だ。俺は二人の妹をつれて何度も
外へ避難したよ。おっ母が『静か
になったから帰ってきていいよ』
と言って空き地に避難している僕
たちを迎えに来るんだ
・・・どう思う一郎」
「ああ、そうだったんだ、大変
だよな」
すかさずガリ勉は言う、
「そう、大変だよ、酒さえ飲まな
ければ普通の親父だぜ、いや、高
学歴で難しい本をよく読んでいる
んだ。俺が字が読めるようになる
と、面白い童話の本を次々に買っ
てきてくれてよ、おかげで俺は本
が好きになったよ。親父が話して
くれる歴史の話なんか、本当に面
白いぞ」
一朗には理解できなかった、一
郎は歴史は嫌いである。大量の人
物の名前とその年代を覚えても、
何の役に立つのか疑問だつたから
だ。
更にガリ勉は言う、
「しかし、悪いヤミの酒が原因だ
と思うが、目を悪くしてしまい、
遠くは見えるが近くは見えないと
言う、治る見込み無ない病気にか
かり、普通の仕事はできなくなっ
てしまったよ。
親父は酒で暴れる事はなくなっ
たが、性格が変わってしまい、何
でもない事でも大きな声で怒鳴り
散らすんだ、おっ母が大変なんだ
よ。更に、親父の代わりに、おっ
母が働きに行くようになったんだ」
一朗は思った、母親とは苦労す
るものなのだろうか。一朗の母と
言えば、働く姿しか思い浮かばな
い、ガリ勉の母もそうなのか、一
朗は共感を覚えた。
私は思う。
家庭を見向きもせず、理由を付
けては遊び歩き、価値のない議論
ばかりしている男達が多い中で、
足元を見て、的確な処置ができる
のは母である。
私は思う。
懸命に子供を育て、亭主に使え
、家計が傾けば当然のように仕事
に明け暮れる。
私は思う。
誰からも称えられず、歳を取る
事さえ気が付かず、あえて母は
最期の砦となる。
社会保障制度など殆どない当時
、大黒柱が倒れた家庭は悲惨で
ある。誰かの援助がなければ、
母親は子供がどんなに幼くても
生きるために、いや食べるために
知恵を巡らし働くのである。もし
くは子供達を養子に出さなくては
ならない。
一郎の父がそうであった。
父の晩年。父の兄と名乗る人が
訪ねて来た。涙の再開の場面は、
ドラマのようであった。いずれに
しても一家離散は悲劇である。
私は思う
当時のこの母達の苦労は並たいて
いではない。重い責任から解放され
る日を、どれ程夢見た事であろうか
、時には、子供も亭主もすべて捨て
て逃亡し、自由な世界に行きたかっ
たのではないだろうか。
私は思う
この母とは、負けない人の異名
である。この母とは、苦労と忍耐
に咲く希望の花である。
この母とは、家族を照らす光明で
ある。
私は断言する
母の祈りに答えてこそ、正義に
なれる。母の大恩に報いてこそ、
人間になれる。と。
ガリ勉は言う
「一郎、もしもだよ、もしも離婚
したら、俺は親父と一緒に捨てら
れるよな。
俺が働くのは苦しい生活を助け
るためだけじゃなく、離婚しても
らいたくないからだ」
らいたくないからだ。
ガリ勉は更に言う
「俺のおっ母は本当のおっ母では
ないんだ、
最近まで『叔母さん』と呼んでい
たんだ。だから親父が目を悪くし
た時、親父がまともに働けなくな
った時、おっ母が働くようになっ
た時、正直、俺と親父は捨てられ
ると思ったよ。すなわち離婚だな。
だって叔母さんから見れば俺は
他人だ、ダメな親父と共に苦労し
て面倒見る事なんか、普通やらな
いよね。自分の実の子供二人を育
てるだけで精いっぱいだろう、普
通はそうだうだろ」
一朗は困った、難しすぎて判断
なんかできないからだ。ガリ勉は
更に言う。
「俺と親父は叔母さんから見ると
厄介者となる訳だ、分かるだろう」
一朗は困った、どうも分からな
い親子関係だ、そこで聞いた。
「本当のおっ母は」
ガリ勉は指を上に向けて言った。
「あの世にいるよ」
一朗は聞いてはいけない事なの
かな、と思ったが、ガリ勉はその
事を話し出した。
「俺のおっ母は俺が四歳の時、突
然目の前で
倒れ、そのまま死んだよ。最初は
寝ているだけと思ったが。親父が
帰ってきて大騒ぎになった。その
時。
『何故、誰かを呼ばなかったんだ』
と誰かに言われた。これはきつい
言葉だぜ、だって、俺に責任があ
ると言われたようなものだ。
俺は一週間泣き続けたらしい、
しかし今はそんなに悲しくないよ
、いないのが当たり前だからな。
本当のおっ母が死んで、何年か
して、今の叔母さんが二人の小さ
な女の子を連れてきて、我が家の
新しいおっ母になったんだ。
俺は慣れなくて、何時も叔母さ
ん叔母さんって呼んで、お母さん
とか言えなかった。
叔母さんは叔母さんだ、おっ母
とは違うからな。
親父の目が治らない、と分かっ
た時、俺は怖かったね。叔母さん
が怖いんじゃなくて、
叔母さんに頼ったら、迷惑をかけ
たら親父と一緒に捨てられると本
当に思ったよ。
それで、小学六年生のくせに働
く事を決めてゴルフ場に押しかけ
たんだ。
ゴルフ場はオープンしたばっか
りで、キャデーが少なくて、バッ
グが担げれば誰でもいいんだ。
でも、小学生は俺だけかも知れ
ないね。『中学生です』って嘘を
言ったけど、たぶん向こうも解っ
てるんだよ。人が足らないんだか
らね、叔父さんだろうが叔母さん
だろうが子供だろうが誰でも良か
ったらしいよ。
だから基礎知識もルールも知ら
ない。すなわちゴルフが何だか分
からない奴ばかりだよ。でもそれ
でよかったんだよ。
いきなりバッグ担いで行ってこ
いだよ。俺もお客に怒られながら
、笑われながら、同情されながら
、褒められながら覚えたよ」
そしてガリ勉は言い切った。
「恥だよな、我が家の恥だよな、
誰にも言え
ないよな、だけど一郎にだけ話し
ておくよ」
一郎は少々自責の念にかられた
、ガリ勉が勉強ができるのは、
この多くの参考書のおかげで、
環境が良いためと思ったが、話を
聞くとそうではなかった、環境は
最悪だった。
一郎はガリ勉に聞いた。
「んでさあ、今は『叔母さん』
でなく、『おっ母』っで呼ぶのか」
「そうだよ。
あるときの夜、妹たちに
『おっ母は戦ってくるからね、い
い子にしてるんだよ』って言って
いた。
俺は、おっ母は職場では
大変なんだ、と思ったよ」
そい言えば一郎の母も、仕事を
始める時はいつも、膝をポンと叩
いて、気合を入れるように立ち上
がるのだ。
一郎は、ガリ勉の母も、
気合を入れて職場に向かうのだ
ろう、と思った。
更にガリ勉は言う。
「叔母さんに心配かけないように
、兄弟三人、いい子にしていなけ
ればと思い、自然に、妹たちの真
似をして『おっ母、行ってらっし
ゃい』って言ったよ。
後で親父から『おっ母が
、涙を流して喜んでくれた』と言
っていたよ。
それからは『叔母さん
』でなく『おっ母』と呼ぶんだ」
この母子は、後々まで
我々の模範となるような、麗し
い親子関係を築いていった。
一郎が『え~、そこまでする
の』と思うほどのガリ勉の親孝
行である。
その母の晩年、寝たきりの期間
中、ガリ勉は下の世話を進んでし
ていた。それも少しも嫌がらず、
冗談を言いながら。一郎にはでき
ないかもしれない。
又、その兄を尊敬する妹たちと
の信頼関係は絶対であった。
厳しい家庭でも、いや、
厳しいからこそ親子の、そして兄
弟の絆は強く結ばれるのだ。
それは一郎の家族でも同
じだった。
別にお話だが、一郎は、ガリ勉
の頭の良さは何処から来るのか考
えた事があった。
なにしろガリ勉の頭の良さは、
クラスで一人だけとび抜けている
程である。
親父の高学歴の影響なのか、親
父の遺伝のせいなのか、だが、そ
れだけでもなかった事が徐々に分
かった。
ガリ勉は、本気を出すと止まら
ないのである。すなわち最後まで
、とことんやると言う性格があっ
たのだ。
例えば、試験の前の日は寝ない
で朝まで勉強すると言う。それが
当たり前というか、癖になったと
いうか、それがどうって事ないと
いうのである。
一朗は朝まで勉強などやった事
など一度もないし、出来ないだろ
う。そしてガリ勉は勉強中、暑さ
寒さを忘れる事もあると言うのだ。
まさに剣豪の修行に似ていた。
ガリ勉は改まったように言った。
「この間、理由なく殴って悪かっ
たな」
一朗は、
「ははは、男は簡単に謝るもんじ
ゃない、小さな事だ」
部屋の奥に リンゴ箱をひっく
り返したよ
うな机があり、その上に汚い電気
スタンドが
ある。
「おい、あれがガリ勉の勉強机か」
「そうだ、勉強机も電気スタンド
も俺が作っ
た」
ガリ勉は電気スタンドが出来上
がるまでの
苦労話をした。もらってきた板を
切り、ペーパーで磨きエナメルを
塗って綺麗にし、次に近所の電気
店に行き、電気コードやソケッ
ト類を購入して組み立てた。
次に傘の骨組みをもらって来て
、母に綺麗な布を縫い付けてもら
い完成させたそうだ。
ガリ勉は誰かにこの話をしたか
ったのだろ
うか、生き生きと語るのだ。
電気スタンドなど、どこ
の電気屋にも売っ
ているし、自分で組み立てるため
のキットも売っている。それをす
べて自作でやるんだから、一郎は
本当にすごいと思った。
「ガリ勉はすげえな、こんなの作
っちやうんだからな、頭がいいだ
けじゃなくて、手先も起用なんだ
な」
一郎はガリ勉を誉めた、関心し
てやった。見たことのないガリ勉
の笑顔を見た。
錯覚だろうか、何故か一郎もう
れしかった。
一郎とガリ勉との出会いは本
との出合いで
もあった。ガリ勉はいつでも快
く貸してくれた。
そして神田の何十件も軒を連
ねて並んでいる古本屋街に、一
郎はガリ勉に案内されて何度も
訪れた。
世界の名作を読み、生意気に
語り合う事はとても楽しい事だ
った。世界の詩歌を読み、その
感動を語り理解する相手がいる
事は喜びであった。一郎はその
頃から漫画本を一切読まなくな
った。
(十)
ある日、体育の時間の水泳教
室が終了し、
皆教室に戻って来た時の事だった。
親が都会議員だと言う加藤勇と言
うクラスメイトが突然騒ぎ出した。
「誰だ、俺の金盗んだ奴は・・・」
皆驚き注目した。
「さっきまであったんだぞ」
加藤は周りの皆に。
「ここに入れて置いた」と一生懸
命説明して
いる様子だった。
周りの皆から。
「良く探せよ」「人のせいにす
るなよ」と言われていた。
加藤は教室の皆に向かって言
った。
「最後に教室から出た奴は誰だ
、そいつが一
番怪しい・・・それから最初に
教室に戻ってきた奴、そいつが
二番目に怪しい」
加藤は何の思慮もなく決め付
けたのである。
一郎は水泳教室の時はいつも
の通り見学である。幼い時の水
への恐怖が治らないためだ、
一種の病気だと先生からも認定
されている。
いつもこの時間帯は寂しい、
辛い、プールの隅っこで小さく
なって耐えているのだ。そのた
め当然のように一朗だけ、プー
ルへは最期に皆から遅れて付い
て行くのである。
教室から最後に出るのも、最
初に戻って来るのも一郎以外い
ないのである。
一郎は腹がたったが、知らん
振りをしていた。しかし誰かが
一郎の名前を言った。
「一郎、知らねえか」一郎は驚
いた、腹がた
った。そして言い放した。
「何。ふざけんじゃねえよ、知
る分けねだろう、おめえ見てた
のかよ」
すると加藤は
「誰か見てた奴いないか・・・」
一郎は絶えかねて席を立ち、
加藤の席の前に立ちはだかり睨み
つけて言った。
「加藤、ふざけんなよ、俺が盗ん
だと言うのかよ」
加藤は憮然と言い放した
「なにも一郎だと言ってねえだろ
う、疑って
いるだけだよ。お前の親父さんケ
チだからなあ」
一郎はついに限界を超えた。
「なに、この野郎、立て」
加藤の胸倉を掴んで無理やり席
から立たせた。クラスの中は騒然
となり、
「やめろ」と、止めに入る奴もい
たが、一郎の耳には届かなかった
。明らかに一郎の顔は青ざめて、
正気を失っていた。
そして殴りかかろうとしたその
瞬間、前の席から大きな声がした。
「一郎じゃないよ・・・・」
後ろの皆に向って大きな声で言
い放したの
だ、皆は注目した。誰。誰。
「一郎は、目の前に札束があって
も絶対に手を出さない奴だぞ」
皆、唖然とした。誰。
大きな声の主はガリ勉だった。
いつもおとなしいガリ勉がクラ
ス全員に向かい、声を張り上げ堂々
と言い切ったのだ。
これほどの説得力はない。
教室は静かになった。そして何処
からか、「そーだそーだ」と言う声
がした、そして、「加藤~、勝手に
人のせいにすんじゃねーよ」と言う
声もあった。
一郎は冷静になれた『皆は分かっ
ているんだ・・・こんなバカは殴る
程の価値もない』
一息入れてから加藤の胸倉から手を
離した、
何事も無かったように授業が始
まった。
おとなしいガリ勉の事だ、おそ
らく、すごい勇気が必要だったん
じゃないか。
いざと言う時、裏切らないのが
親友だ。ならば恩を忘れないのも
親友だ。一郎はこの時の事を一生
忘れなかった。
程無く、なくなったはずの金が
何処からか
出てきたらしい。
誰かが皆に言った
「加藤の勘違いだってよ」
当の加藤は謝りもしない。何事
もなかった様な振りをしている。
『お前の親父さんケチだからなあ
』と言われて確かに腹が立った。
此の頃、学校の行事に度々寄付
があった。
一郎の父は、その寄付をしなかっ
たか、少ししかしなかったのだろ
う。
誰かが父の事をケチだとでも言
ったのだろう。父兄の間ではそん
なくだらない事が直ぐ噂になる。
一郎は少しも恥ずかしいとは思
わなかった、逆に父親は偉いと思
った。少しも見栄を張らず、あり
のままで堂々としているからだ。
(十一)
ある日、ガリ勉が誰かに絡ま
れていた。
そいつは顔を強張らせガリ勉
に詰め寄っている。
「おい、ガリ勉、どうするつも
りだ」
相手は柔道部の背の高いクラ
スメイトだ。
「おい、ガリ勉、決着を付けよ
うじゃねえか、
昼休みに体育館に来い。逃げる
なよ」
ガリ勉が脅されている、何が
あったのだろう、一郎は慌てて
ガリ勉に聞いた。
「何があったんだよ、あいつ柔
道やってるし、何で喧嘩なんか
するんだよ」
ガリ勉は首を何回も振りなが
ら。
「わかねえんだよ、何であいつ
が怒っているのか、わからねえ
んだよ、俺は何もしてねえし、
俺は何も言ってないし」
昼休み、ガリ勉は体育館に強
引に連れていかれた。
一郎はその柔道部員とガリ勉
の後ろから体育館に付いて行き
、その様子を少し離れた所から
見ていたが、一郎は怖かった。
その柔道部員は、体育館の隅
に、マットを敷き始めた。そし
てガリ勉に。
「さあ、かかってこい」と掛け
声をかけて身構えた。勝負を挑
んでいるのである。
無茶だ、柔道などしたことの
ないガリ勉を相手に、柔道をし
ようというのである。汚い奴だ
、許せない。
一郎は迷った、怖かった、で
も、見て見ぬふりはできない。
しかし相手が悪過ぎる、強すぎ
る。でも一郎は恐る恐る、いや
震えながら止めに入った。
「何してるんだ、やめろよ」
柔道部員は一郎の呼びかけを
完全に無視し、ガリ勉と組み合
ってしまった。
案の定、ガリ勉はあっけなく
倒された。しかも柔道部員は、
その上から抑え込みの体制に入
ったのである。
一朗はドキドキしなが「やめ
ろよ、やめろよ」と言ったが、
柔道部員は聞こえない振りをし
て、一郎を無視し、怒鳴るよう
な大きな声で。
「ここから脱出してみ
ろ」と言った。
一郎はそれ以上どうする事も出
来ず、ただ
これ以上エスカレートしないよ
うに願いながら見ているしかな
かった。
ガリ勉は手足をばたつかせて
いたが、抑え込みの体制は変わ
らない、そこから抜け出せるは
ずがない。
その時、不思議な事が起きた。
ガリ勉は下から、両手を伸ばし
、柔道部員の背中で手首を組み、
思いきり締め上げたのである。
ガリ勉は一呼吸入れると又締
め上げた。
ガリ勉の両腕は、小刻みに震
えるように、柔道部員の銅を下
から締め上げた。そのためか、
抑え込みをしている柔道部員は
、自ら抑え込みを解き、横に転
がり、座り込んでしまった。
そしてガリ勉は起き上がった
。座り込んでいる柔道部員は驚
いたように言った。
「息ができなかっよ、死ぬかと
思ったよ。いやー、ガリ勉は怪
力だ、すげえ怪力だな」
間もなくマットはかたずけら
れた。
洋一の怪力は明らかに仕事を
しているせいである、自分でも
気が付かなかったのであろうが
、小学生の時から毎日バッグを
担いでいるのだ。毎日が、腕の
筋力を鍛えるための訓練をして
いるようなものだ。
柔道を一年や二年やっている
だけの駆け出しのヒョロヒョロ
に負けるわけなかった。洋一は
柔道の技など知らないが、力だ
けは人一倍強いのである。
一郎は助かった、もし見殺し
にするようなことがあれば、
卑怯者になる所だった。
激しい生きずかいのガリ勉に
聞いた。
「何回も聞くけどよ、何があっ
たんだよ」
がり勉は何回も言う。
「だから分からねえよ、なんで
絡まれたのかが全然わからない
んだ。あいつが何を怒っている
のかが分からないんだ」
でも一朗は想像できた、ただ
の弱い者いじめだと。自分の力
を、弱い者を相手に試してみた
かっただけだと。
一朗とガリ勉が教室に戻ると
、例の柔道部員がクラスの誰彼
構わず話している。ガリ勉の事
を宣伝している。
「がり勉はすげえ怪力だぞ、怪
力マンだ、すげえぞ、がり勉は
クラスでナンバーワンだ、力道
山みたいだぞ」と。
弱いと思えば威張り、強いと
思えばへつらう、愚かな動物と
変わらない人間の性なのであろ
うか。
その後、我クラスの力自慢た
ちが、ガリ勉に腕相撲を申し込
んでくるようになり、ガリ勉は
相手になってあげていた。
もちろんガリ勉は、ずば抜け
て強い、一郎は嬉しくてしょう
がなかった。
(十二)
人生には山あり谷あり、と誰
でも言う、そして、厳しい山が
連続して連なる事もあるのだ。
夕食が終わった頃だった。
突然畳が持ち上がった。いや
浮いた。
何が起きているのか理解でき
ず、頭が混乱して恐怖を覚えた
。何の前触れもなく、見る見る
うちに家中水浸しになった。
至る所から水が噴き出し、敷
いていた布団まで浮いているの
である。
一朗の父はまだ帰宅せず留守
であった。
母も姉も悲鳴を上げていた。
母も姉も弟まで手伝って、大事
なものを、水に濡れないように
高い所へ急いで移していった。
しかし水嵩は増すばかりだ。
一九五八年九月二二日
台風第二二号は中心気圧八七
七h P aを観測する、大型で
猛烈な台風となり、関東地方を
中心に記録的な大雨を降らし、
土砂災害や河川の氾濫が相次ぎ
、死者・行方不明者が、千二百
人以上を出す大災害となった。
いわゆる狩野川台風である。
風による被害も大きかったが
、大雨による被害は凄まじく、
伊豆半島を中心に、狩野川の氾
濫や山間部での崖崩れにより、
一二メートルに及ぶ洪水が発生
した。
都内だけでも床上浸水が1二
万三千六百世帯に及び、その被
害は下町だけでなく、山の手に
も及んだ。
下水道から溢れた雨水はマン
ホールの蓋を高く持ち上げ、噴
水の様に吹き出し住宅街に逆流
して流れて行った。
一朗の家に侵入してきた水の勢
いは止まらず、家族皆必至でドタ
バタしながら悲鳴を上げながら、
恐怖に怯えながら、更に高い所を
探し、何でもかんでも積み重ね
ていった。
しかし水位の上昇に間に合わず
、次々と水没してしまった。そし
て積み上げたものが崩れてしまい
、渦を巻いて漂い、もう手の施し
ようがない状態になってしまった。
濁流が一郎の腰の少し上あたり
まで上昇してきた時、一郎は恐怖
と戦いながら必死に考えた。
『このまま水位が上昇すれば溺
れる、高い所へ逃げなければ』と
思った。
『パニック状態の母と姉と弟を
連れて、家から脱出しなければな
らない』と思い、その方法を必死
で考えた。
屋根に登るしかないのである。
不思議にも停電にはならず、灯
りは点いていたため、暗闇ではな
かったのが幸いしたのか、ひどい
パニックにはならずに、考える事
ができた。
電気は今のような漏電感知機能
がないため、
水に浸かっても切れないのである
。しかし、気負付けなくてはなら
ない事がある。一朗はコンセント
に近ずき過ぎて感電してしまい、
飛び上がらんばかりの衝撃を受け
たてしまった。
一朗は家族に注意した。
「コンセントに近ずくと感電する
からね、気負付けてよ」しかし母
と姉は、一郎の注意が聞こえたの
か聞こえないのか、正気を失って
いるのか、「どうしよう、どうし
よう」と言うばかりだ。
一朗は恐怖と戦いながら、何処
を伝わって屋根に登るか必死で考
えた。
窓枠に登り物置の屋根に手を伸
ばし這い上がり、そこから家の屋
根に上がるのが一番良いと考えた。
しかし、母や姉や弟に、にそれ
ができるだろうか心配だ、しかし、
決行するしかないと思った。それ
も早い内に決行しなければならない。
これ以上水位が上がれば全員溺れ
てしまうからだ。
一朗は母と姉に、屋根に上がる
方法を伝えた。しかし全く返事が
無い、水の流れる音が不気味に響
き渡り、返事が聞こえなかったの
かもしれない。
一朗は家から脱出する
ために窓を開けた。
暗闇の中、黒い濁流と共
に、あらゆるもの
が流されていく恐ろしい光景を見
た。そして不気味な家のきしむ音
と濁流と共に、人の叫び声が遠く
に聞こえた。救助を求めているの
だろうか。
今は水位の上昇が収まるのを祈
るだけだ。
恐ろしく長い時間が流れた。恐
怖は時間を引き延ばすのだろうか。
しかし幸いな事に、水の勢いが
弱くなり水位の上昇がおさまって
きたのだ。恐怖から少し解放され
た。家から脱出する必要がなくな
ったのである。
しかし、安心したためか、はだ
しのまま動き回っていた一郎は、
水中にある鋭い何かを踏み付けて
しまった。足の裏に激痛が走り、
悲鳴を上げた。母と姉は、
「どうしたの」と心配してくれた
が、一郎は痛さをこらえて、
「大丈夫、大丈夫」と言うしかな
かった。
まもなく父が帰って来た。
ジャブジャブと水をかき分け泳
ぐように、「たいへんだ、全くた
いへんだ~」と言いながら、又、
近所の人に声をかけながら帰って
来た。
父は車のドライバーをしていた
ためか、家にタイヤのチューブが
保管されていた。何本も膨らまし
ていると、近所の叔父さんがロー
プや板切れを持ってきてくれて、
三人ほどの叔父さん達で簡単なボ
ートのようなものを作った。
それに一朗達三人が乗り、父が
胸まで水に浸かり、慎重に押して
、水没していない、近くの高台へ
先ず避難させられた。
そこには暗闇の中、大勢の人た
ちが避難していた。誰もかれも立
ったまま、水没した我が家の方を
茫然と見ている。
しかし当時、避難所など何処に
もない、役所からの指示もない、
消防署からの救助も無い、警察か
らの支援も無い。
父は、濡れていない着替えを持
ってきてくれた。そして、三人で
お雪婆の所へ行く様に言った。
「お父さんは取り残された人達を
助けなければならないからね」と
言い、姉にお金を渡し、
「お姉ちゃん、頼むよ」と言って
別れた。
確かに、屋根の上に避難してい
る人はかなりいたらしい。いや、
屋根を遥かに超える所まで浸水し
ている地域もかなりあった。しか
し暗闇で人の声でしか分からない
のだ。
幸い濁流の流れは殆どおさまり
、水位も停滞しているため、浮く
ものがあれば容易に救助できそう
だった。しかし、水位が下がる気
配は全くないのだ。
その時の水位の高さは記録的で
、現在、町のあちこちの電柱など
に表示され、教訓となっている。
一朗達三人は姉に連れられてお
雪婆の家に向かった。姉は何度も
行った事があるため、行き方が分
かっているはずだった。
一朗は右足の傷が痛く、びっこ
を引きながら歩いた。そこに弟が
しがみついくるのである。しかし
我慢した。
途中何度も聞きながら、迷い
ながら電車を乗り継ぎ、北千住駅
にたどり着いた。そこでも迷った
が、東武線の改札口にやっとたど
り着いた。
そこで一人の駅員が大きな声で。
「台風の影響で杉戸(現在の東武
動物公園)以北は運転中止です、
杉戸までしか行けません。復旧の
めどはたっていません」と叫んで
いた。
姉は、他の行き方が分からなか
った。行く事もできず帰る事もで
きず、途方に暮れてしまい、しば
らく立ちすくんだ。
幾人かの人が駅員さんを取り囲
み、色々と詳しい情報を聞いてい
たのを見て、姉も駅員さんに、
どうしたらいいか聞いてみた。
「杉戸からはバスが出ています」
と言う事を聞いたので、一朗達は
先ず杉戸まで行く事にした。
一時間半程で杉戸駅についたが
、バスの乗り場が分からず、ここ
でも迷ってしまった。
幸い駅前に行列があり、車掌さ
んらしき人が案内しているのを見
て、やっとその行列に並ぶ事がで
きた。
しかし、どの方面に行くバスか、
何処で降りるのかなど全く分から
ない、そのため、姉は案内してい
た車掌さんらしき人に聞いて見た。
目的の電車の駅は二つほど先だ
が、残念ながら、その方面へのバ
スは道路が水没しているため運休
している、と言う事だそうだ。
姉はどうしても行かなければな
らない事情を言うと、その駅に最
も近い停留所まで行くバスに乗る
ように言われた。後は歩くしかな
いと言われた。
そして、降りてからの道順を詳
しく教えてくれた。しばらくして
バスがきたが超満員であった。
ひどい揺れに耐えながら、一朗
達三人は目的の停留所にたどり着
き降りた。
ここからは歩くしかないのだ。
台風一過の夜、木々の葉が騒め
き、虫の鳴が僅かに聞こえる。月
明りに照らされた誰もいない、寂
しい田舎である。
姉も大変だったが一朗も怪我を
した足を引きずり辛かった。三人
とも疲労こんぱいであったが、あ
と少しと思えば、頑張れた。
言われた通り行くと、言われた
通りの少し広い通りに出た。しば
らく行くと姉が、
「あった」と叫んだ。
電柱の上の方にある道路標識を
発見したのだ『日光街道』と書い
てあった。
三人は安堵した。後は真っ直ぐ
進めば、必ず見覚えのある所にた
どり着くはずだ。
案内してくれた人が「一時間以
上かかるよ」
と言っていたが、心がはやり、直
ぐ着くように思えた。
街道なのに道路は凸凹で、街灯
も付いていない。台風のため、停
電しているのだろうか。とにかく
暗い。はるか彼方に家の明かりが
見えるが、畑の中の何もない真っ
直ぐな道だ。
幸いなことに、雲の切れ間から
月灯りが大地を照らしてくれたた
め、方角だけは分かった。
しばらく行くと何本もの大木が
道路を塞いでいた。そう言えば、
道路なのに車が一台も通らない事
が不思議ではあったが、その理由
がわかった。
台風のせいであろう、根こそぎ
薙ぎ倒された大木や、途中から折
れた枝が道路に散乱していた。
更に進むと、今度は道路が水没
していた。月明りに照らされた水
は、光ってはいたが泥水である。
どれだけ深いのか見当もつかず
、泥だらけになるのを避けるため
、別の道を探す事にした。
田のあぜ道等に入り込んで突き
進んだ。別の道路が現れた。おお
よその方角へ歩いていったが、そ
の道路も水没していた。
台風の直後だ、至る所で道路が
寸断されてるのは仕方ない事であ
る。
少し高い所から見渡したが暗い
ためか、回り道が見つからず、し
かたなく水没した水の中を三人は
手をつないで渡った。
もう、泥だらけである。一朗は
びっこを引きながら、痛さに耐え
て歩いた。弟を支えながら、姉の
後ろを必死に追いかけた。
月明りのみで、農家の小さな灯
りだろか、遥か遠くに見えるだけ
の、恐ろしくさみしい凸凹の道で
ある。そして、恐ろしく暗い林を
つまずきながら、転びながら抜け
た。
虫の合唱がうるさい、草木のざ
わめきがうるさい、誰にも合わな
い、車も通らない、地の果てのよ
うな所を進んだ。
三人は道に迷ってしまった。
姉は何度も来ているのだが、今
日は回り道でもあり、いつもと違
うのである。そして夜中だ。
姉は、目印や見覚えのある何か
を探しているようだが全く分から
ない様子だ。
「鉄塔があった、小川があった」
と言うが、
回りをよく見ると、鉄塔らしいも
のが幾つもあり目印にはならない
のである。
姉は「頑張れ頑張れ」と何百回
も言った、
何時も降りる駅の方向を探したが
、分からない様子だ。少し開けた
所から目をこらして、電車の線路
のある方を探したが、電車は走っ
ていないのである、全く分からな
いのである。
何処かにたどり着けば、今いる
場所が分かるかも知れない。又、
夜遅いが、何処でもいいから農家
を訪ね、道を聞く事ができたかも
しれない。助けてもらう事もでき
るかもしれない。しかし、その灯
りははるか彼方だ。
姉は「頑張れ頑張れ」と言うだ
けで、ひたすら歩くだけだ。
いくら歩いても月明りに照らさ
れるのは同じ風景だ。迷路に迷い
込んだのだろうか、さっき通った
ばかりの道を歩いている感覚だった。
突然の事である
一朗は、自分の意志に関係なく体
が震えはじめたのである。歯も小刻
みにガタガタする、
一朗の異常に姉は驚き。
「一郎、どうしたの、どうしたの」
と心配した。一朗は倒れ込む程の疲
労があった。そして恐ろしい程の寒
気がおそった。
「少し休むよ」と言い、座り込んだ
。いや、「もう一歩も歩けない」と
言いたかった。
想えば今日の昼食以後、何も口に
していない。幾時間か前に、駅のホ
ームで水を飲んだだけだ。しかし、
一郎にしがみついてくる弟を見ると
、泣きそうな顔をしている。兄とし
て弱音を吐く訳にはいかない。
幸いに、少し休むと一朗の体の震
えは少しずつ収まって来た。
一朗は痛めた右足を引きずるよう
に立ち上がった。一朗は弟を支え姉
は一朗を支えながら、泥だらけの三
人は又歩きだした。
もし、もしも月が出ていなければ
、一歩も動けないだろう。一郎達の
味方は月天のみである。
一朗達は、石や木の根につまずき
ながら、恐ろしい森や林を抜け、果
てしない道をさ迷い、無限の時間を
費やした。
哀れなこの三人の子供達を見て、
大月天が導いたのであろうか、突然
、お雪婆の家の前にたどり着いたの
である。
姉は激しく戸をたたいた。
「お雪婆、お雪婆、お雪婆」
家族ごと起きて来て、一郎達を向
かい入れてくれた。
土間に入るなり、姉は座り込ん
でしまい、大粒の涙を流した。弟
は部屋へ入るなり寝てしまった。
姉は今日の出来事を興奮して話
したが、話の前後が合わず、意味
不明な所もあったが、お雪婆はす
べてを理解してくれた。
「全部分かとるぞ、そうなんそう
なん、ほんにかったりーべえ」と
姉の背中を何度もさすっていた。
叔父さんが一朗の足の手当てを
してくれた。
桶の水で綺麗に洗った後、小瓶に
入っていた塗り薬を取り出し。
「これを塗ると痛みが無くなるぞ
」と言って直接傷口に塗ってくれ
た。すると、本当に痛みが無くな
ったのだ。
姉も怪我をしていた、擦り傷や
打撲の跡がが至る所にあった。
一朗はお茶を飲んだ。ものすごく
旨いお茶
だ、言葉で言い表せないくらい旨
いお茶であった。
「ひゃっこい飯だが食えや」と言
われて出されたが、何故か、少し
しか食べられなかった。疲労が極
限に達すると、食欲も無くなるの
である。
一朗達は、大明星天が輝く頃、
吸い込まれるように寝入った。
お雪婆の家の人達は皆親切で、一郎達を快く受け入れてくれた。しかし、この台風の被害は、お雪婆の家でも興っていたのだ。
台風が去ってからの、農家の人達は大変である。水路の管理や修理を必死でやらなければならない。
この地域の農家の殆どが米農家で、収穫前のため、この台風の被害は甚大で、多くの稲が水に浸かったり、折れたり倒れたりしたため、喩え、いくらかの収穫を得ても、品質が悪くなると言うのだ。
お雪婆の家の人達も、皆疲れていた事だろう。その中での皆の親切が忘れられない。
洪水に見舞われた一朗の家の回りから、完全に水が引くまで二日かかった。
一朗の家のある一帯は、東京でも特に低い所にあったらしく、周辺の三千数百世帯が床上浸水の被害にあった。
場所により屋根を遥かに超える浸水に、亡くなった人もいたと聞いた。
過去に、この一帯が水没したと言う記録は全くなかったため、まさかのできごとだった。
今回は、異常な大雨のため、排水が間に合わなかったとか。ポンプが故障したためとか聞いたが、何の補償もないのである。
現在、その時の水位の高さが、町の至る所に表示されている。
(十三)
三日程度で、一部を除いて東武線が復旧した事が分かった。
一郎の足の手当てをしてくれた叔父さんが
「足の具合いはどうか」と聞いてきた。
「治ったよ、全然歩けるよ」と答えた。
「叔父さは一郎の家の様子を見に行くから、一郎も付いて来いや」、と言って一郎をさそった。
叔父さんは、着替えの服や、かなりの数のおにぎりや、吹かした芋などの食料をリュックに詰め込んで言った。
「一郎も男なんだから、こういう時こそ活躍するんだぞ。さあ、片付けの手伝いに行くぞ」
一郎は姉と弟を残し、朝早く、叔父さんと
出かけた。いや家に帰る事に、いや様子を見に、いや跡かたずけの手伝いに出かけた。
電車を乗り換え、駅からバスに乗り換えたが、墨田川への途中で、
「この先は運航できません、ここから折り返し運転になります」と言われて降ろされた。
徒歩で川岸に出て橋を渡った、そしてその緩やかな坂の向こうを見て驚いた。いつもの見慣れた、町の景色は一編していた。
そこら中がぬかるみ、瓦礫が散乱し、すべての建物が、緑の空き地が灰色になっていた。
その中で人々は動いていた。いや、働いていた。
一郎は叔父さんを連れて我が家にたどり付いたが、人が住める状態ではなかった。近所のどの家も同じである。
その中で父と母が懸命に後かたずけをしていた。父の友人や母の友人も手伝いに来てくれていた。
叔父さんは父母と挨拶を交わすと直ぐ大きなリュックの中身を渡した。父母は歓声を上げる程喜んでいた。
昨日まで水が引かなかったそうだ。そのため父母は、高い所に板を引いて夜は寝たそうだ。いつたい、何を食べていたのだろうか。
一朗は、普通の生活のありがたさをかみしめた。
叔父さんも一郎も直ぐ皆の中に入り作業を手伝い始めた。
泥まみれの家具や衣類をとにかく洗う洗う、干す干す。そして、使えなくなった家具や布団やその他のゴミを外に山済みにする。
果てしなく思える後かたずけをした。どんなに乾かしても、家の中は濡れたままだ。床下のあちこちにある水たまりは消えない。
夕方近く、一郎は父母を残し、叔父さんとお雪婆の家に帰る事にした。
一郎は、帰りの混んでいた電車の中で立っているのがやっとだった。
一朗は、この水害が何かの終わりで、何かの始まりの様に思えた。間違いなく言えることは、一朗が精神的に一歩成長した事だ。
一週間程度を経て、家に帰れるようになったため、お雪婆と、その家族にお礼を言い一朗達三人は水没した家に帰る事にした。長距離での電車通学は無理なためでもある。
しばらくの間、一朗達は劣悪な中での生活を余儀なくされた。
曲がった隙間だらけの襖に、新聞紙を張り付けた障子に、畳のない床に茣蓙を敷き、小さな布団に兄弟寄り添って寝た。
床下の湿気はひどく、部屋の隅から大きなキノコが生えて来た。
それでも学校は休まず通った。
救援物資が支給されると連絡があり、取りに行った。しかしそれは役に立たない古着で、殆どの人が受け取らずに帰った。中にはおしゃれな服もあっが、雑巾にしか使い道はない。
今回の水害は、水に流されたのではなく、
水に浸かったのだ。乾かせば元に戻るので古着は必要ないのである。善意には感謝するが、被災者に何でも送ればいいというものではない。
この機に乗じて、詐欺まがいの商売する人もいる。
ノズルの付いた噴霧器を持ってきて。
「消毒しますよ、消毒しますよ」と言い、各家庭を回るのである。
何処の家も、てっきり役所か保健所か町会のサービスかと思い。
「お願いします」と返事をするのである。すると、家の周りに白い液体を手早く撒き初め、終わるとその場で高額な料金を請求するのだ。
誰も消毒業者とは知らず、近所の殆どの家が頼んでしまったのである。そして支払いを拒否すると、一人の主婦に三人の男が取り囲み、激しい言い争いが始まるのだ。いや、脅迫だ。
一朗の母も最初は支払いを拒否したが、料金を言った言わない、聞いた聞かないの争いになり、最後は屈強な男三人の脅迫に、仕方なく料金を払ってしまうのだ。
しかも、業者が撒いた白い消毒液の上で、虫が動き回っているのである。何十倍も薄めた消毒液か、ただの白い水である。
何時の世も、人の弱みに付け込んだペテン師はいるものだが、因果応報、自業自得を信ずれば、こんなことは出来ない。
それから、土壁の凄さが分かった。
二日間水につかった土壁は、乾けば元にもどるのである。染みは付いたものの、表面も平らのままで、もろくもならず復活するのである。
いずれにしても、この水害は、我が家にとって大き過ぎる負担となった。空いた穴は塞がらない時もあるのだ。
(十三)
ある日の朝 姉が起きない
姉はいつも早く起きて母の手伝いをする。
そして一郎や弟を起こすのも姉の役目だ。そして登校も早い、しかし今日は違う。母は「早く起きなさい」と姉に何度も催促する、不思議な光景だ。
一郎は朝食を済ませ、さっさと学校へ登校した。
同じ中学校に通う三年の姉と一年の一郎だが一緒に登校した事は殆どない。姉は早く登校し、一郎はギリギリに登校するからだ。
次の日の朝も姉はなかなか起きてこない。
母の再三の催促に、やっと姉は起きてきた。
一郎は少し不安になった。いつもの姉と違うからだ。一郎は姉を心配しながらも家を出た。
昼休み、一郎は三年生の校舎に行き、姉のクラスに様子を見に言った。
姉のクラスの生徒に直ぐ見つかり何人もの女子に囲まれてしまった。
「あ、会長の弟でしょ」「君も頭が良いんじゃない・・・やっぱり似てるよね・・」
矢継ぎ早に色々聞かれたが、どうも居場所が悪くなり、適当に答えて早々に退散しようと思った。
その時、驚きの質問が飛んできた。
「ねえ、会長どうしたのよ、昨日から休んでるよ」「風邪でもひいたの、大丈夫なの、休んだ事なんか無いのにね」
一郎は返答に困った、知らないからだ、冷汗をかく思いで答えた。
「はい大丈夫です、明日は来ますから」
一朗の不安んは的中した。姉に何があったんだろう、おかしい、姉は家を出ているはずだ。一郎は不安で仕方なかった。
しかし、その日の夕方、何事も無かった様に姉は帰ってきた。それも元気いっぱいに。
一郎は、今日の昼休みに姉のクラスに行った事を言えなかった。何故学校を休んでいるのか姉に聞けなかった。聞くのが怖かったからだ。
数日後の夜、突然、姉の担任の先生が一郎の家にやって来た。
母は突然の事に少し驚いた様子だったが、居間に案内し、
「いつもお世話になっております。今日はお忙しいのに、本当にすいません」と、挨拶しながら茶を出していた。
先生に父が仕事で居ない事を告げると、一郎と弟に隣の部屋に行くように促された。
一郎は軽く挨拶を済ますと邪魔をしないように隣の小さな部屋に移った。
担任の先生は姉に、
「元気そうだな、安心したよ」と声をかけたが、姉は小さな声で「ハイ」と答えただけだ。
担任は母に聞いた、
「三日も休んでいるもんで、今日は心配して来てみましたよ、どうしましたか」
一郎は静かに耳をそばだてて聞いていた。
母は驚くかと思ったが、意外に冷静だった。
「すいません連絡が遅れて、明日から登校させますから安心して下さい」と言い、姉に向かい、
「ね、お姉ちゃん、明日から行くよね」と言った。
母は何かを知っている。一朗は安心したが、不安が残った。
担任の先生は姉と、学校の事だろうか、親しそうに明るく元気に会話をしていた。担任の先生は微笑を浮かべ、安心して帰っていった。
何事もなく、平穏な日々が続いた。
月も星も見えない日の夜の事だ。三人の先生が一郎の家にやって来た。
先生と父母との長い会話を、隣の部屋で聞いていた一朗は、すべてを理解した。
姉は父母から。
「高校進学を諦めるように」と言われ、かなり落ち込んでしまい、学校を休んでしまったのだ。
学校に行く振りをして、埼玉のお雪婆の所に行っていたのだ。
お雪婆からの連絡で、母はその事を知っていたが、知らない振りをしていたのだ。
母はお雪婆を信頼していた、又頼っていたのかもしれない。人生のいばらの道を歩んできたお雪婆だ、きっと姉を励まして、元気にしてくれるはずだ。そう信じていたに違いない。
三人の先生は父母を説得に来たのだ。
「優等生です。何処の高校でも受かります、何とかなりませんか」と言うのだ。
父と母は、ありのままを語っていた。
借金に負われ苦しんでいる事や、今の仕事への不安や、大病を患った後の体の限界等も話していた。そして父から『定年』と言う言葉を初めて聞いた。
父と母の年の差は二五歳と聞いていたが、一郎は『定年』と言う言葉の意味を初めて知った。
三人の先生は
「我が校最大の功労者だから、学校を上げて応援する」と約束した。
最後に父は
「考え直す」と言った。
一朗は、小さな部屋のテーブルの向こうで、静かに泣いる姉の背中を見た。
一郎は激しい衝撃に襲われた。それは初めて味わう息苦しい衝撃だ。心の底から湧いて来るような、突き上げて来るような衝撃だ。
一郎はいたたまれず家の外へ出た。
吹きすさぶ初秋の風が、恐ろしい程冷たかった。
一郎は、しばらくの間、夜空の一点を見つめて動かなかった。混乱した頭の整理ができないのだ。
姉は誰よりも母を支え、黙々と働いた。姉は、外交官と言う大きな夢に向かい、誰よりも努力し誰よりも勉強した。その不屈のエネルギー源こそ『希望』であった
最愛の姉から、希望と言う努力と忍耐に咲く花を根こそぎ奪う者は何者なんだろうか。
希望と言う胸中の火を消し去る者は何者なのなんだろうか。
一朗は、その見えない敵を、隠れている悪者を、激しい怒りをもって探した。しかし、いくら探しても、いくら考えても、見当たらないし、分からないのだ。
『誰も悪くない・・・いや、そんな事は絶対にない、誰かが悪者なんだ、そいつは誰だ、何処にいるんだ』
やがて一郎は、何も分からないまま、見えない悪魔に対し、復讐を誓うのである。
(十四)
広く明るいロビーには、やさしい音楽が流れていた。傍らのソファーには幾人もの人達が、煙草の煙を立ち上らせ談笑していた。
そこは、笑い声や掛け声や挨拶等が入り乱れた大人の空間だった。
ゴルフ用品が綺麗に展示されているコーナーがある。奥は食堂だろうか、多くのテーブルが並んでいて、綺麗な女性店員が忙しそうにお客様を案内していた。
ここは、大人の世界の選ばれた人達の来る特別な所だ。そのためか一郎は場違いのように感じて、少々緊張した。
一郎はガリ勉の案内で奥の『事務所』と書いてあるドアーの前に立った。
ガリ勉は。
「失礼します」と言いドアーをたたいた。
「はい」と誰かが答えたので入った。
さほど広くない部屋に幾つかの机が並び、二人の男性が机に向かい仕事をしていた。
三〇歳ぐらいだろうか、色の浅黒い叔父さんが振り向いた。
「ん・・誰や」
「キャデーの佐藤洋一です」
「あ、佐藤君ね・・・で、何んや」浅黒い男はガリ勉の方をチラチラ横目で見ながら、仕事の手を休める事なく机に向かっていた。
「友達なんですけど、こいつ、キャデーやりたいって言うんで連れて来たんですが」
ガリ勉の話が終わるか終わらないうちに。
「あそう。今度な・・・募集がある時に面接に来いや」
男は一郎の顔をチラチラ見ながら、更に仕事を続けている。一郎は頭を下げて元気良く挨拶した。
「内田一郎です、よろしくおねがいします」
男は仕事をやめて正面に向き一郎の顔を見た。
「よし。覚えておいたろ・・・内田君やな、六ヶ月後に又合おうやないか」
すかさず洋一が言った
「こいつ、直ぐやりたいって言うんです・・
・駄目ですか・・・」一郎も言った。
「直ぐやりたいんですが・・・」
色の浅黒い男は、仕事の手を止めて、一息付いてから椅子から立ち上がった、そして一歩二歩近ずいて来た・・・背が高い。そして
一郎とガリ勉の真正面に立って言った。
「あのなあ、六ヵ月後と言うてるんや、途中からは雇わん。今日は帰んな」見下ろされながら冷たく言われた。ガリ勉は下を向いた。
一郎は男を見上げて言った。
「六ヶ月も待てないんです。お願いします」
「あのなあ、僕にお願いされても困るんや、決まりやからな、決まりは変えられへん、そやろ。えーと、内田君と言うたな、なら、この間の募集の時、何で来なかったんや」
「知らなかったんです」
男は首を縦に振りながら言った。
「さよか、それは残念やったな、今度はこいつから、えーと、佐藤君から連絡してやるから必ず来い。それでええやろう」
浅黒い男の声は冷たく響いた。一郎の心臓の鼓動は背中にまで響いた。
ガリ勉は下を向いて黙っている、しかし一郎は勇気を出して言った。
「一生懸命にやろうと思っています、お願いします」
更に冷たい言葉が返ってきた
「おい小僧、この仕事は何時でも誰でもどうぞ、と言う分けにはいかへん。キャデーだろがそれなりに教育し訓練せにゃならん。何んも知らねえ奴がでける訳ねえやろ。駄目なのは駄目や、決まりは決まりや。俺は今忙しいんや、仕事の邪魔しないようにしてくれや、帰んな帰んな」
男は一郎達が事務所から出て行くのを見届けるつもりなのか、腕組みをして仁王立ちになり動かない。
ここまでか・・・
一郎がガリ勉にキャデーの仕事の紹介を頼んだ時、洋一ははっきり言っていた。
「途中から雇われる人はいないよ、新人は講習を受けるんだ、途中から一人だけ特別にと言う分けにはいかないよ、俺なんかが頼んでも絶対無理だよ、六ヶ月後だね。
それも中学生なんか一番最後で足らない分だけ雇うんだから、雇われるかどうかさえ分からないよ」
一郎はガリ勉の性格を知っていた、忍耐強い所はあるが、頭が良いせいか、計算して無難に結論を出す。安全運転もするのだ。
一郎は頭で考えて出す結論より、可能性を信じるのだ。時に無謀になる。
しかし今日は、一郎の勇気もここまでだ。
返す言葉が浮かばない、ついに一郎も下を向いた。
その時下を向いていたガリ勉が突然言った。
「こいつ困っているんです」
男は語気を強めて言い返した。
「おいおい、困っているのは俺の方や、お前らが帰らねえと仕事が終わらねえからな」
一郎は諦めたが、最後の勇気を搾り出して言った
「どうしても駄目ですか」
男は冷たく言った
「駄目や、どうしても駄目や」
「分かりました・・・帰ります」
男はニヤっとして言った。
「ああ、そうしてくれ、俺は助かるわ」
その時・・・・
豪快な笑い声が奥の方からした、
事務所の奥にいたもう一人の体格の良い、髪の毛が少々薄い男だ。
「お前ら豊中だな、良い根性してるな・・・
おい中川、こいつにやらせてやれ」
色の黒い男は中川と言う名前らしい、そして言い返した。
「部長、本当にいいんですか、中学生ですよ」
「ああいい、中川、お前が面倒見てやれ」
中川と言う男は一郎の頭を平手で軽くポンポン叩きながら言った。
「エー、俺が教えるんですか、こいつに」
「ああ、そうだ、一人前にしてやれ」
「エー、そうですか、ハイ、分かりました」
予想外の展開に一郎とガリ勉は元気良くお礼を言った。
奥の体格の良い部長は微笑を浮かべ。
「頑張れ」と言った。
(十五)
一郎は、授業が終わると、一目散にゴルフ場に向かった。
あの中川と言う色の浅黒い男は待ち構えていた。
「直ぐ外に出ろ、グリーンで講習や」
一郎は前の日に、洋一から色々とキャデーの仕事の内容を聞いたため、教わる事を難なく次々とマスターしていった。
「お前は覚え早えー、頭がいいんやな。しかし実践ではどうかやな、俺の言うた事忘れんなよ」
又、キャデーの見習いの講習の期間でも、僅かだが賃金が支払われる事を不満に。
「教わる奴に金を払うとは、おかしいやろ、俺がお前から講習料をもうのが普通やろ」
と冗談を言っていた。
講習は二日間続いた。
一朗は覚える事は多くて不安だったが、
「あとは経験を積むしかねえ。客にアドバイスができるようになれば一人前だが、簡単な事ではねえ。最初は客に迷惑のかからねえようにしてればええ」と言った。
又、こんな心配もした。
「だがよ。お前、貧相な体系やな、小学生と間違うで。バッグ担ぐとよろけそうやな、お客から『あの子倒れそうです』とか言われたら大笑だぜ」
「大丈夫です、運動は得意ですから」
「運動会じゃねえや・・・いいか、お客から不満が出るのを覚悟でやらせるんや、先ず、
『新人で何も分からないので』と最初に言ったほうがええな。
ま、ご機嫌の悪い客に当たらないよう祈るしかねえな」
中川さんは愚痴も言った
「ほんまに中学生なんか普通は雇はねえだがよ、ゴルフブームってのは、そのまんまキャデー不足と言う事になるんや。そのため客が自分でバッグを担いでプレイしてもらう事がしょっちゅうや。そのつど、この俺様は、誇りもプライドも捨てて『すいません、すいません』と、ペコペコしなきゃならん。
ほんまの事言うと、中学生でも小学生でもええんゃ、バッグを担ぐだけでも助かるわい
ま、バッグ担いで走る訳じゃねえから、何とかなるわ、・・・・
で。お前、途中で辞めんなよ、俺様が忙しい中、わざわざ教えたんだからな」
秋晴れの日の夕方、ゴルフ場のロビーはまだ大勢の客が、談笑していた。
マイクロバスまで所有している大きなゴルフ場だ、荒川放水路の河川敷で、足立区新田から、江北橋の先の小台まである、ここは都内で最大のゴルフ場だった。
平日、学校から帰ると直ぐ自転車に乗り、急いでゴルフ場に向かうのである。
真っ先に受付に自分のカードを提出し、呼ばれるまで待つのであるが。時には休む間もなく、バッグを担ぎコースへ出るのである。
土曜日曜はお客が多い、特に日曜は忙しかった。
ある日「二人分のバックを担げるか」と受付の人に言われた。一朗は
「いいですよ」と答えたが、受付の人は頼んでおきながら、
「大丈夫かな」と心配しながら、一郎の肩を両手でバンバンと叩いて、
「ん~、じゃ頼むぞ」と言われた、が、一朗は正直きつかった。
そして、朝から晩まで切らさず働くのである。そして、その他の雑用も大変である。
打ちっぱなしの練習場からいきなり呼ばれて「ボールを集めろ、掃除をしておけ、ここをかたずけろ」と言われたり、客の要望を聞き、適切に対処したり、休む暇もないのである。
まさしく足は棒のようになり、肩が痛く手が上がらなくなるのである。
それでも一日寝るとほぼ回復するのだ。しかし、疲労は蓄積される事が分かった、神経も磨り減る事も分かった、体調の良い時、悪い時があるのも分かった。
初めて1週間ぐらいの頃だったか。一郎の首あたりに、大きな腫物ができた時があった。
一郎の体質なのであろうか、顔にニキビができない代わりに、首の当たりにニキビができるのである。
しかし今回はニキビではなく、赤く腫れた大きな腫れ物である。ニキビが炎症を起こしたのかもしれない。
その日、バックを担ぐと、腫れ物に触れるのである。悲鳴を挙げたくなるような激痛に、地獄の苦しみを味わった。
耐えて耐えて、長い長い一日を終えた時、
新しい発見があった。それは『いくら気持ちをしっかり持っていても、やる気を出して頑張ろうと思っていても、体が付いていかない事がある』と言う事なのだ。
医者に行かず、薬も塗らず、親に言えず、学校も休めず、仕事も休めず。一朗は思った。
『地獄とはこの世に存在するのだ』と。
ガリ勉にそのことを言ったら
「休めよ、正直に言えよ、医者に行けよ、そんなの誰も褒めてくれないよ」と言われた、
一朗には答えがなかった。そしてガリ勉は。
「まだ始めたばかりだからな。休めば何か言われそうだな『根性がない』とか『子供だ』とかね。そう思われるのはいやだよね」
洋一は丸い瓶のふたのようなものを見つけてきて、赤く腫れた部分をおおい、それが動かないように、テープをぐるぐる巻き付けて、応急の処置をしてくれた。
「治療費はいくらだ」とか、冗談を言いながらである。おかげで、次の日は激痛を味わうことなく無事に仕事を終える事ができた。
「一郎、一郎」
母の声で目が覚めた、夕飯も取らず寝てしまったのだ。母は不思議がった。
「どうしたの一郎」
「いや、ちょっと疲れたよ、運動のし過ぎかな」
この頃の一郎の家では一家団らんが少なくなっていた。父も姉も帰りはバラバラなので母は夕飯の支度が大変である。母は最期の帰宅者と一緒に食事をとるのである。
一郎もキャディーの仕事が終わっても直ぐ帰れるとは限らないのである。
母は「今日も遅いね」と言う。言い訳はいつも同じだ。
「今日はちょっとクラブ活動でね」「今日は友達の家でね」「生徒会でね」
そのうち 夕食の遅れるのが当たり前になり、母は理由を聞かなくなった。
勉強は怠るまいと思ったが、宿題も学期末試験の勉強もいい加減になった。
雨が降ると当然仕事は休みだ。しかし、学校でのクラブ活動も、溜まっている勉強も、宿題もやる気がしない。
しかしガリ勉は違う。
「雨の日が勝負だ」と言っている。一郎は絶対真似できないと思った。一郎とガリ勉の違いが、その考え方にある事がわかった。
ガリ勉の家に遊びに行くときの一郎の挨拶が「勉強の邪魔しに来たぞ」である。勉強の邪魔になるんじゃないかと思い、いつも早く帰るように心がけていたが、話は止まらない、かなり邪魔しているようだった。
一郎は、横になると本当に寝てしまう癖が付いた。母が笑って言った。
「お兄ちゃんはすごい特技があるんだよね。何処でも寝られるんだよね。寒くても暑くても、昼でも夜でも、周りがうるさくても平気なんだよね」
母は、夕食後、直ぐ横になる一郎を見て不思議がって言った。
「一郎、何処か体が悪いんじゃないの、熱はないの」一郎は畳をたたいて即座に起きて、
「大丈夫大丈夫、寝不足寝不足」といって平静をよそおった。
ガリ勉から何度も言われた。
「毎日はきついよ、適当に休まなければ続かないぞ。向こうは、こっちの事情なんか考えてないから、とことん働かさせるぞ。
『もっと早く来い、休むな、もっと頑張れ』ってね、何十回も聞かされたよ。そして褒めるのもうまいんだ、ついその気になるんだよな」
一郎も分かっていた。事務の叔母さんに褒められた時、何故か頑張り過ぎるぐらい頑張ばってしまうのだ。
不思議なもので、二週間もすると体がなれてきたせいなのか、疲れも眠気もさほど出なくなっていた。
しかし 授業中での眠気は辛い、我慢できるものではない。
起きていても、目が明いていても、頭が眠っているのである。そのため授業の内容が全く頭に入らないのである。見抜いた先生から
「今の話分かるか」と注意された。またある時は
「夜深しするな」と注意された。
毎月十日が待ちに待った給料日だ。
夕方、時間前から多くのキャデー達がにぎやかに待っている。どの顔も明るい、一郎もガリ勉もその中の一人だ。
「ご苦労様」
一郎の初めての給料だ。封筒を覗き込み確認した。めったに見る事がない千円札に感動した。
その時、十円玉が一つ地面こぼれた。近くにいた女性が拾ってくれた。
「汗の結晶ね」と言い一郎に渡してくれた。
「ありがとう・・・あ」一郎は思い出した。
彼女は一郎が初仕事の日に、お客とコースを回った時、親切に色々とアドバイスしてくれた女性のキャデーだった。それも彼女は二人分のバッグを担いでいた。
その後ロビーで何回か見かけたが、お礼を言う機会がなかった。
一郎は丁重にお礼を言った。
「あの時、色々教えてもらい本当にありがとうございました」
「もうすっかり一人前だね。いやーたくましいね、内田君だっけ」
え、名前を覚えていてくれたんだ。
そのしゃべり方は男の様であるが女性である、日焼けした逞しいお姉さんである。
それから数日が経った頃、一郎は家に誰もいない事を確認してから、ちゃぶ台に椅子を乗せて足場にして、神棚の横の奥にある貯金縛を下した。
以前、父が板で作った、かなり大きい貯金箱だ。しかし、いつも数か月で開けてしまうのを一郎は知っていた。
その貯金箱に二枚の千円札と小銭を素早く入れて、貯金箱を元の位置に戻した。
二か月が経つた頃、母は父に、お金がない事を告げた。母は、貯金箱を開けるようにとは言わなかったが、父は察知し貯金箱を下ろし、母の目の前でキーを外した。そして新聞紙を広げた上にザーと音を立てて硬貨を広げた。
母は子供のように歓声を上げた。
ひまわりのような笑顔、太陽のような笑い声。一朗は、経験したことのない幸福感に慕った、初めて味わう充実感に酔った。
幸福の条件が、お金と勘違いしないでほしい。間違いなく充実だ。その中身は苦労だ、忍耐だ、勇気だ。何の苦労も無い幸福等、何処を探してもあるはずがない。
一郎に迷いはない、不安も無い、後悔も無い、明日からもひたすら前に進むだけである。この一瞬のために。
一朗は、学校の冬休み期間中でも、天気の良い日は休まなかった。
冬場は忙しくはないが、強い風さえ吹かなければ、防寒具を着てプレイする客もいるもので、中には「客の少ない冬こそ練習のチャンス」なんて言い、カイロを幾つも持ってプレイする客もいた。
そこに行くと同じキャデーの仲間がいる、新しい出会いがある、色々な体験談が聴ける。そして、事務や受付の人達とも次第に仲良くなり、一郎は仕事を覚える程に楽しさを覚えるようになった。
(十六)
ある日の夜だった。
父が一郎を静かに呼んだ、
「一朗、ちょっと来なさい」
「何・・何、お父さん何」と言い父の顔をのぞいた。
父は穏やかに静かに言った。
「働くのを辞めなさい・・・」と。
一朗は混乱した、『え、何、何、故知って
るの・・・何故バレたの・・・』
時計はゆっくりと進んだ。
一郎の父はやさしい。怒る事はめったにないし、母ほど口うるさくもない。しかし母に言わせると、父が本当に怒ると怖いらしい。それは大声を出すとか、態度や行動に表れるのではなく、深く静かに怒るのだそうだ。
それは執念みたいなもので、一度でも裏切ったら永久に許さない、と言う程、恐ろしいらしい。
そして今日の父は怖い。とにかく怖い。
強く言われたら、反発したかもしれないが、
優しく言われると、怖い。
更に父は穏やかに
「お父さんは怒っいるんじゃないぞ、それどころか一郎が働き者で強い男だと分かり、安心したんだ。我が家の長男一郎は働き者だ~と、自慢したいくらだ」
一郎は不思議に思った、怒られるどころか褒められているからだ。じゃ何故辞めなければならないの。
父は更に褒める
「お前は優しい子だ、我が家の家計を助けようと思ったんだろう。お父さんは全部知っているんだよ、何もかもだ。一郎が何故内緒にしたかも知ってるぞ。お父さんに言えば反対すると思ったからだろう」
一郎は父の話を遮るように言った。
「そうだよ。絶対反対するでしょう」
父は強く言った
「その通りだ・・・何故だと思う」
何故かは言われなくても分かっていた
「勉強しなくなると思ったんでしょう」
父は強く言った。
「その通りだ・・・」
一郎は何も言えないのである、その通りだからだ。
一朗は、二学期末の終了日、ひどい成績の通信簿を貰った。父に見せるのが怖かった。
言い訳を考えたが、思いつかない、でも父に見せない訳にはいかなかった。
ドキドキしながらその通信簿を父に見せた。まさに針のむしろの上に座らされているような気分だった。
父は通信簿を隅々まで見ていた。そして、父は何も言わず、無言で通信簿を一郎に返した。その時、父は何故か微笑をうかべていた。
あの時の無言の父は怖かった。その怖い父が一郎の前にいる。そして言う。
「一郎はこの先、いやでも働く事になる、いくらでも働ける。でも今は勉強だ」
父の話は明快だ、一郎が反論する余地など何処にもない。ここで一郎は、本当の想いを
言った。
「だって、お母さんがあんなに喜んでいるじゃないか」
父はため息をつき言った
「そう、そりゃあ喜ぶさ、貯金箱にあんなに沢山入っているとはお母さんは思わなかったからな」更に父は言う、
「一郎、お母さんを悲しませるな、お母さんが本当の事を知った時、何回も何回もため息をついていたぞ」
一郎は衝撃を受けた。
そうかもしれない、いや、父を悲しませる事にもなるかもしれない。子供を働かせている無力な親と、後ろ指を指されるかも知れない。
父は誇りを持っている。それは母からも聞いていた。
『どんなに苦しくても、他人様に迷惑をかけるな、恩を受けたら必ず返せ』これが父の信条だ、誇りだ、プライドだ。父はそのように生きてきたのだろう。
一郎は生まれて初めて挫折を味わった。
いや、いずれこうなるかも知れないと思ってはいたが、その時が突然訪れてしまった。
言い訳は通じない、わがままは許されない。一郎は、足元の台地が抜け落ちたような感覚で、思考停止状態に陥っだ。
一朗は頭をかかえて、黙って下を向いていた。そして父は。
「中途半端な辞め方は良くない。月の終わるまで全力で働け」と言った。
一朗は全力で全神経を注ぎ、悔いのないように最後まで働いた。
ゴルフ場の世話になった人達に挨拶をして回った。「どうしたの、何があったの」「残念だね、やっと覚えたのに」「必ずここにもどって来るように」と言われた。
(十七)
三学期の終了日だった、
黒板に何か書いてあるが、誰も意味が分からかった。
担任の先生からその意味の説明があった。
「一年間、色々あったけど皆頑張ったね。クラス替えもあるし担任の先生も変わるし、最期かも知れないので先生は皆に大事なことを言っておきたい。
担任の先生は冗談が得意で、いつも皆を笑わせてくれる。たまに冗談が通じなくて困っている時もあるが、皆は気を利かせて笑いに付き合ってあげる事もある。又、それに感謝する先生も面白い。
しかし今日はいつもと違う。
いつもの微笑がない、顔が真面目だ。
「皆、愛が大切な事である事は誰でも分かっているよね。でも、『何故大切なの』と聞くと、正しく答えられる人は少ないんだよ。そして、愛が分からない人に限り、愛だ愛だと愛を乱発するんだね。
『愛してる愛してる愛してる』と繰り返し言ったからと言っても、それが愛してる事にはならないんだ。それでは口先だけだ。
今日は『愛とは何か』愛が何故大切なのかについて、皆と話し合いながら考えて見ようと思うんだ。
先生は、国語や数学や社会と同じように、
『愛学』と言う科目があっても良いと思うくらいだ。愛学の教科書があっても、愛学の試験があって良いと思っているくらいだ。
愛の理解度により人格が形成され、人生を左右してしまう事もあるし、国の経済政治社会の底辺を支える力にもなるんだ。
愛は、人間が生まれながらにして持ち合わせているものではなく、教育により、環境により育てられるものなんだ。
みんな、これから先、様々な問題に直面した時に、役に立つように、道を間違えないように、少し難しいかも知れないが、学んでおこうと思うんだ」
生徒たちは、いつもと違う先生に気が付いたが、これが先生の最後の話だ思うと、誰もが緊張し先生の話に注目した。
「それで皆、先ず愛が付く言葉を何でもいいから挙げて見なさい。思いついた愛の付く言葉を何でもいいから言って見なさい」
一斉にざわめいた後、次々と発言が飛び出した。
「愛情・家族愛・人類愛・愛国心・慈愛・自分を愛する・郷土愛・知恵を愛する・」
誰かが「アイラブユー」と言った。先生は。
「それはラブが日本語での愛だからな。まあ、愛もキリスト教社会からの輸入品だけどね。
さっき誰かが『慈愛』って言ったね。
慈は仏教から来ているし、愛はキリスト教から来ているわけだから、慈愛は東洋と西洋の合作だね。
さて、先生からも愛の付く言葉を追加しておこう『溺愛』とか『盲愛』だな。これは悪い意味に使われるぞ、そこにエゴイズムがあ
るからだね。
愛と言う言葉は欧米の影響を受けて、近年盛んに使われるようになったが、日本に元々ある『愛』と言う言葉は、少し違う意味で使われていたね。今日はその話は置いておくね。
日本では昔から、愛に近い意味を持つ言葉として『慈悲』と言う仏教用語があり、それを盛んに使っていたんだね。
慈悲は愛の比べれば分かり易いよ。
慈悲の慈とは『いつくしむ』と言う意味だ『真の友情』とも言われるね。
悲とは『共にかなしむ』と言う事で『哀れみ、同情、共に苦しむ』と言う意味になるんだ。
それからさっき『知恵を愛する』なんて凄い事言った子がいたな。
言ったのは誰だ『知恵を愛する』なんて、なかなか言えるもんじゃないぞ。誰が言ったのかな」
ざわめきながらだれかが「ガリ勉だよ」と言った。先生はガリ勉を見て。
「そうか、さすがだな、知恵を愛するとは、『フィロ・ソフィー』哲学の事だよ。
佐藤君。それが分って言ったのなら君は秀才だ」
ガリ勉は嬉しそうだったが、いつもの通り黙っている。 「それから誰かが『自分を愛する』と言ったね。そう、なかなかそこに気が付かない人が多いが、これは大事なことだね。
『頭の悪い自分が、だらしない自分が、嫌な性格の自分が嫌いだ』と言う人もいるかも知れないが、先生は断言しておく。『自分以上に愛おしい存在は何処にもない』と言う事だ。
英語の得意な今井君。君が将来、世界中を旅をする様になったと時。なった時の話だが、今井君、その時、今、先生の言った事が本当かどうか、証明してもらいたいんだ。『世界中、何処を探しても自分より愛おしい存在はなかった』って言う事をね。
もし、それが正しいのならば『他人だって同じように自分が一番愛おしい存在であるはずだ』と言う事が誰でも分かるよね。
それ故に『自分を愛する人は他人を傷付けてはならない』と言う事も分かるよね。
ならば、『人を愛し愛しむということが、もっとも尊いことである』と言う事も分かるよね。
今井君。先生へのお土産は探さなくても。『自分より愛おしいい存在』を探してくれ」。
今井君は大きな声で。
「ハ~イ」と返事をした。すかさず先生は。「何度も言うが先生へのお土産はいらないからな、本当にいらないからな」と言った。
すかさず誰かが。
「先生、何度も言うと、お土産を催促しているように聞こえますよ」と言って、皆大笑いをした。
指導者として心がける事は。
『誠実・真剣・明るさ』と共に『ユーモア』も入れるべきではないだろうか。特に日本人はそれが下手だ。
明るい雰囲気の中、先生は皆に聞いた。
「さて、愛が出尽くした所で皆に聞くが、愛の大きさや重さを測るとしたら、どうやって測ればいいのかな。愛の大きさや重さを測る計測器は有るのかな、それは何だと思う」
生徒たちは騒めきながら。
「えー、そんなの無いよ、愛なんて見えないんだから、形が無いんだから、心の中なんだから測れないよ」
皆は勝手にガヤガヤと意見を述べていた、更に先生は、
「愛の大きさ、重さを計る計りがあれば便利だよな。『はい、君の愛の重さは1〇グラムだ、もっと頑張れ』とか『君の愛の大きさは二メーターもある。素晴らしい』とか言えるからね。
内のクラスにもそう言う計りがあれば一台欲しいね。
おー、横山君、君は科学も工作も得意だろう。一台作ってくれよ。そんなの発明したらすごいぞ、新聞のニュースになるかも知れないぞ、横山君は有名人になれるぞ」
言われた生徒は。
「先生、僕にはできねえよ」と捨て腐れたように言った、皆が笑った。
「やっぱし横山君にも出来ないか。そう、さっき誰かが言ったが、愛は見えないからな、形が分からない。
しかし皆、驚くな・・・愛の大きさを測る方法が有るんだ、愛の深さを測る方法があるんだ。いいかよく聞いてくれ、ここからが大事なんだぞ」
先生は静かになるのを見計り言った。
「愛があるか無いか、大きいか小さいか、深いか浅いか。それは、勇気ある行動と、耐え忍ぶ忍耐で計る事ができるんだ。
言い換れば、勇気と忍耐でしか愛は現せないと言う事だ。更に言い換えれば、一歩も踏み出せない人の愛は小さい、と言う事になる。又、苦しみに耐えられず諦める人の愛は低いと言う事になるんだ。分かるか」
誰かが言った
「先生、勇気のある奴は強い奴だから、プロレスラーは大きな愛がある、と言う事になるんじゃないですか」
先生は即座に否定した
「違う違う、力が強い、イコール勇気ではない」
生徒たちは口々に言った、
「強くなきゃ勇気は出ないよな、勇気を出す
から強いんだよな」
再び先生は即座に否定した
「違う違う、力が強いとか弱いとかは勇気には関係ない。強いだけならライオンやトラが一番勇気があることになるだろ。
強いだけでは無謀になり残虐になる。海では溺れる、山では遭難する」
生徒の一人が手を挙げて言った。
「先生、山なんかで勇気ある撤退ってありますよね、これって怖いから撤退でしょう、だって勇気があれば、撤退しないで登るでしょう」、
「そうだね、でも強がっていただけなら無謀登山となり遭難するんだ。登山に多くの知識と正しい判断が必要なんだ。喩え弱虫に見えても、憶病に見えても、知識に裏付けられた決断なら、それは勇気と言うんだ。
と言う事は、すなわち勇気とは、時に憶病にも見えるということだね。と言う事は、勇気の反対は臆病ではない、無謀と言う事になるね。すなわち勇気とは理性ある正しい行動と言う事にもなる」
生徒の中にはよくわからないで、首を傾げる子もいたが、先生は分かり易く、ゆっくり話を進めた。
世の中、強い人間ばかりじゃない。
憶病でもいいと思うんだ、怖がってもいい、恐れてもいいと思うんだ」
生徒の間から声が上がった
「エー先生、憶病者に勇気はないと思うよ」
先生はしばらく間をおいて、言い切った
「いいかい、憶病でもいい、強がらなくてもいい、恐れてもいい。誰だって怖い時は怖いよ。ありのままの自分でいい。
でも、正しい事ならば『震えながらでも一歩前に出る』それが勇気と言うんだ。
此の人を勇者と言うんだ。この人こそ愛がある人だ。
いいかい、先生の遺言だと思って聞いてくれ。『一歩踏み出す勇気』を忘れるなと言う事だ、勇気と臆病と無謀の差は紙一重だ。
愛だ愛だと乱発しても、そこに勇気が無ければ忍耐が無ければ愛ではない。
もう一度言う、勇者とは、怖がらない事ではない、恐れない事ではない、強がる事でもない、自分の弱い心にムチ打って、一歩踏み出す人の事だ。
言い返れば『一歩も踏み出せない傍観者には愛は無い』と言う事だ。
と言う事は、愛の反対は憎しみではない、傍観であり、無関心ということになる」
一人の女子生徒が手を挙げて言った。
「先生、愛の反対は『憎しみ』って私の辞書には出ていました。私、調べた事あります」
先生は躊躇なく言い切った
「貴方の辞書は間違っている」・・・と
生徒たちの間からは納得せず。
「えー先生、本当に辞書が間違っているんですか」「間違った辞書じゃ辞書じゃないよね」
教室は大騒ぎになった。
先生は皆を静止しながら言った。
「あんなに分厚い辞書だ、一か所くらい間違いがあっても不思議じゃないよね」
生徒は口々に勝手な意見を言っていた。
先生は更に皆を静止しながら言った。
「でも、試験の時だけは愛の反対は憎しみと書いてくれ」
教室内はざわついていたが、生徒の中から、
「分かりました先生。見解の相違って言うんでしょう」先生は笑いながら。
「そういう事にしておいてくれ。
ついでに貴方の辞書には勇気の反対は『憶病』と出ているかもしれない。それも辞書の間違いだ。
勇気の反対は『無謀であり残忍であり愚である』と言うのが正解だ。
憶病に見えても、己に勝ち、一歩踏み出す奴は、間違いなく勇者だ。
何があっても諦めない忍耐の人は勇者だ。
あ、これも試験の時だけは勇気の反対は臆病と書いてくれ。
ここで先生が言いたいのは、現実の世界では、理屈を頭で考えて計算しても、その通りに行かない場合がある。と言う事だ。
時代により、場所により、人により違うんだね。冬山で勇気なんか出していたら、命が幾つあっても足らないだろう。
又、『七転び八起き』なんてことわざがあるが、先生に言わせれば、懲りない奴の喩えだよ。
哲学の分る佐藤君。この辺の矛盾を深く思索して、皆に分かり易く教えてあげてくれよ」
言われたガリ勉は、しきりに頭を横に振っていた。
教室内はガヤガヤ自分勝手に意見を言っていた、生徒の中には思考停止状態に陥っ子もいた。
先生は結論した。
「愛の反対は傍観であり無関心だ。皆は決して傍観者になるな、無関心でいるな『一歩踏み出す』勇気を忘れるなと言っておきたい」
「ハイ」と言う元気な返事が返って来た。
おおよそ先生の思いは通じたようであった。
更に先生は
「愛の中身を話したついでに勇気の中身を話しておこうか。
勇気とは、外に向けられる前に、自分の中に向けられなければならないんだ。
『嫌いな事から逃げ出そう』とする自分。
『悪い事は何でも、他人のせいにする』自分。
『どうせ何をしてもダメだ』と直ぐ諦める自分。そのような自分の弱い心に打ち勝つことこそ本当の勇気と言うんだ。
そしてその勇気は、自分を信ずることから生まれるんだ。自分を信ずるとは、自分の無限の可能性を信ずる事だ。
いいかい、自分を疑えば一歩たりとも進めない、簡単な事さえ分からなくなる。
その逆に自分を信じて一歩踏み出せば、分からない事が分かるようになる。
自分を強く信ずれば、魔法のように知恵が沸いてくる」
先生は静まり返るのを待ち、力強く結論した。
愛に忍耐がなければ、憎しみに変化する。
愛に勇気が無ければ、空しく消え去る。
愛にエゴイズムがあると、溺愛や盲愛とな
り、相手を滅ぼしてしまう。
愛を独占すると小さな愛で終わる。
愛は開かれてこそ幸福と平和が建設される。
真実の愛とは。
傍観せず共に苦しむ事。
己の可能性を信じ、己に勝つ事。
一歩踏み出す勇気を持つ事。
簡単にまとめて書いておいたよ」
先生は黒板に書いてある文字を指示した。
そこには先生が予め書いておいたのだろう
次の言葉が書かれていた。
愛とは。
〇共に苦しむ
〇己に勝つ
〇一歩踏み出す
「これから皆の前には、様々な苦難が待ち構えている事だろう。
人間とは弱い者だ。何か問題が起こると、絶望し、他人のせいにし、やる気をなくし、楽な方へ行きたがる。
その時こそこの言葉を思い出してもらいたい。勝利者になるために、忍耐強く苦難と戦ってほしい」
この先生の遺言にうなずく生徒もいた、理解できない生徒もいた。
先生は一郎とガリ勉を見た。そして言った。
「このクラスの中には、傍観せず、己に勝ち、一歩踏み出した生徒が何人もいる。
そういう生徒に限って自慢しないんだ。それは君かも知れない、隣の席の君かも知れない、いや、誰に言われなくても本人はきっと分かっているはずだ。
天知る、地知る、我知るだ。
そういう勇気あるクラスメイトに拍手を送りたい」
静けさが漂う・・・沈黙を破るように、
誰かがゆっくり手をたたいた。
続いて、思い出したように、劇場の幕が開く時の様に、拍手が一斉に沸き起こった。
芽吹き始めた大地を震わせて、
遥か虚空に響かせた。
天も讃えん地も称えん、
虹よかかれと祈り、終わります。
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